あねさんろっかくたこにしき

 

 

ちょうど下鴨神社の話を取り上げたので

このブログのテーマとは関係がないが…

京都のすぐ近くで生まれ育ったが、関西の友人も知らないことが多かったので取り上げてみる

 

 

大文字山火床より京都市

横に伸びる低い丘が吉田山

その奥が京都大学

さらに鴨川を越えて京都御所

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京都の街はご存知の通り、碁盤の目のように東西南北に通りが走っているが

東西の通りの名を覚えるための歌がある

ちょうど子供たちの 数え歌、遊び歌 のような感じの歌である

 

まる たけ えびす に おし おいけ

あね さん ろっかく たこ にしき

 

太町 屋町 川 条 小路 御池

小路 条 六角 薬師  

 

 

京都教育大学公式YouTube より

 

後半の通り名は以下

なくなっていたり

一部が残っていたり

吸収されていたりする通りもある

 

条 小路 光寺 辻 原 寿寺 五条

 

雪駄屋町(楊梅) 屋町 屋町(的場) 魚の棚 六条 三哲塩小路

 

七条 八条 九条 十条 東寺

 

チャラチャラというのは両方とも金属に関係する仕事だからだろう

 

最近は京都にはなかなか行けないが

以前は毎月京都の六角に行った帰りに

いろいろな通りを通って京都駅まで歩いて帰った

さすが千年の都で 至る所で歴史的な事象に出会う

親鸞聖人が亡くなったところ

応仁の乱の始まったところ

蛤御門

全国初の小学校…などなどいくらでもある

もし、京都を訪れることがあれば、歌を覚えておられるとよい

 

 

余談だが・・・

 

この歌に出てくる通りは中京区、下京区にあたるが、上京区が出てこないのは京都御所で通りが途切れているからかもしれない

あいまいな境界のようだが、上京区、中京区、下京区あたりをまとめて 洛中 というらしい

嵯峨は京都とちがうえ!

伏見は京都とちがうし!

半分冗談のこの言い方は 洛中 に対しての言い方になる

京都市には他に北区、右京区左京区西京区、南区、伏見区山科区 がある

伏見区の友人は 

あんたらそんなこと言うたら大阪行くとき通したげへんえ!

と言い返しているらしい。

仲のよい良い友人同士の話だろう

 

なお、洛中、洛外の あるいは上洛などという言い方をするときの 洛 は中国の 洛陽 から来ている

三国志を読んだ方は洛陽は知っておられると思う

 

 

 



 

気 ⑦ 糺の森

 

最後に・・・

 

 

下鴨神社 糺(ただす)の森

スイスからの女子留学生が、何年もの滞在後だろう

京都で最も好きなところはどこですか?

と聞かれて、金閣寺でも、嵐山でもなく

糺の森・・・と答えたそうだ。

その話を聞いたとき、当たり前かも知れないが

日本人以外でもこの国が古来大切にしてきた感性を持っている・・

ことに驚いた。

必ずしもスイスのアルプスの麓で生まれ育ったからというわけではないかも知れないが

森や、自然が働きかけてくるもの に気付いているのだろう

 

初めて下鴨神社を訪れたとき、

ちょうど新緑の頃だったと思う

森が続く参道に入った途端・・

自然と気に包まれた。

言ってみれば、木々が芽吹いたり、葉を展開したりするエネルギーのような・・

新緑の頃に行ったからかもしれない。

 

 

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糺の森京都盆地の東北部、鞍馬や貴船からの賀茂川(合流部より上は賀茂川下流は鴨川と表記される)と 大原や八瀬からの高野川 の合流部に南北に長く広がっているが、一般の神社の森に比べて明るい感じがする。鬱蒼(うっそう)としたという表現より、爽やかな感じを受ける。京都盆地は冬場に冷え込んで寒暖差が激しいことで有名だが、大きな川の合流部ということもあって、一般の社寺林に多い常緑照葉樹よりも、落葉広葉樹が多い。特にムクノキやケヤキ、エノキなどのニレ科の樹木が多くて、それがこの森を独特のものにしているのかもしれない。

もちろんシイやカシやクスノキなどの照葉樹の古木も多く見られるが、戦前の室戸台風と翌年の大水害の被害を受けた後、森内に数千本あった樹木は97本まで激減したらしく、その後の植栽などの努力もあって、数千本に至る現在の姿になっている。

 

 

糺の森財団 の 紹介動画

 

こうやって振り返ってみると、なにか霊感の鋭い人間のように見えるかもしれないが

そんなことはない。

糺の森はその後何度も訪れているが、初めての時のように気を感じることはない。

立山や白山のような霊峰、日本アルプスの峰々、北海道や東北の山々へも登ったり縦走したりしたが、今まであげてきたような気を感じたことはない。

ただ、森へゆけば爽やかな時間を過ごせるし、山々に身を置けば穏やかな気持ちになる。

 

 

いつまでも続くコロナ禍の中で、また北海道、日本海側に降り続く大雪もあり、ほとんどまともな外出ができない日々が続いている。

けれど、今年もやがて春になり、山や森や渓流に出かけることができれば、植物や自然はいつものように変わらず迎えてくれることと思う。

ただ過ぎればよい・・ではなく

これだけ地球規模の人類全体のことが起こっているのだから、少しでも次代の人たちがのびのびと生きていけるように考えるきっかけにならぬかと思う。

 

気 ⑥ 守護岩

 

 

これまでは誰が聞いても場所がわかりそうなところを上げてきたが、ここはかなりローカルな、知られていないところになる。

県の最北部、ほとんど若狭との県境に近いところに、山門(やまかど)湿原と呼ばれるところがあり、小規模ながらミツガシワなどの希少な植物の植生が残っている。

湿原に周回コースがあり、アカガシが密集して生えていたりして、こちらは何度も行ったことがある。案内図にもう一つ、ブナの森コースというのがあり、湿原からそれて尾根筋まで登ってから戻ってくる。ある程度登らねばならないが、以前、一人でゆっくり時間をかけてこちらのコースを周ったことがある。ようやく尾根筋まで登って平坦なところまで来たが、ブナの純林でもなく、それほど大木が生えているわけでもなかった。

ただ、あるところにさしかかった時、急に うわっ という感じで気を感じた。

ここはなにかある・・・と思いながら、少し進んで行くと小さな岩があり、注連縄が巻かれていた。

屋久島の森や、白神山地の森など、そういった大木、古木の森ではない。どちらかというとまばらな感じの森で、岩もそれほど大きなものでもなかった。

ここへ登るとき、単にブナ林コースとの表記を見ていただけで、このような岩や場所があるのは全く知らなかった。

ここの地名も知らなかったので、今改めて、いくつかの案内図をみてみると 「守護岩」 とある。

 

たしかにブナが多いが純林でもない

奥に岩が見える

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守護岩

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いわゆる 磐座 だと思うが

必ずしも磐座は大きなものだというわけではないことがわかる

この山門湿原から集落は少し離れているがやはり 山門 の集落が最寄りの集落になり

集落の方が昔から祀っておられるのだろう

 

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気 ⑤ 御嶽山麓 新滝

 

 

 

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御嶽山には滝が多い。

西側の小坂というところから入るとたくさんの滝があり、中腹の濁河には緋の滝、材木滝などという大きなものある。

南面の山麓には、以前取り上げた田立の滝や付知峡、南東側には阿寺渓谷、柿其渓谷の滝など、大きな滝がいくらでもある。(ただち、つけち、あてら、かきぞれ と読む)

木曽から入り、王滝村を経て、御嶽山七合目の登山口に田の原があり、そこへ植物を見に行ったことがある。王滝村はずいぶんと前に大きな地震に見舞われたところで、また田の原登山口から登る剣ヶ峰は、まだ記憶に新しい御嶽山の噴火によって多くの人命が失われたところである。私が寄ったのはその噴火より何年も前だったが、帰りに車道のすぐそばに 新滝 との表示があったので寄ってみた。普通に歩けばものの五分くらいのところかと思うが、あまりに植生が豊かだったので三、四十分かかったはずである。

ようやく滝のところまで来て、神秘的な雰囲気の、布がかかったような滝を見た途端、

ふっとすごい気を感じた。

3、40mくらいのきれいな直瀑の滝だが、滝壺の裏がくぼんでいて、いわゆる裏見の滝になっている。滝小屋というのか、滝行のための小屋があって、御嶽山登山やあるいは修行のための滝であることがわかる。よく滝行というものを各地でされるが、確かにこのような気の中ですれば浄化されるだろう。

 

 

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滝小屋があり、滝壺の裏は大きく、くぼんでいる

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もちろん人を神として祀っている場合もあるが、神道では、昔から神社の祭神は社殿ではなく、森であったり、岩や滝や、いわゆる森羅万象の気を有しているものを祀ってきた。

 

たくさんの滝を見てきたが、滝で、直接気を感じたのは初めてで、滝が気を有していることをすごく感じることができた。

山道が通じていて、割と近くに 清滝 という滝があるとのことだったが、この時はそちらへは寄っていない。

気 ④ 神倉神社

 

熊野三山はすべて詣でたことがある。

ただ、熊野本宮大社熊野那智大社も熊野速玉大社もあれほど有名なところであるのに関わらず、気を感じたことはない。知らなかったが、本宮大社は明治の頃までは、今の小高い丘の上ではなく、川原の中洲にあったようで、洪水によって流されたため移転したとのこと。そういえば、川原の方にとんでもなく大きな鳥居があったのは覚えている。いつかもう一度行けるときがあればそちらの方にもいってみたいと思う。

新宮の街に着いて、駅の観光案内所で地図をもらおうと入ったら、神倉神社には行かれませんかという。知らなかったので、余裕があれば行きますくらいに答えておいたが、そもそもなぜこの街は新宮というのか聞いてみたら、本宮大社に対して速玉大社が新宮なのではないらしい。というか、熊野三山の大本は神倉神社であるらしく、それも山上にある大きな岩・・・岩倉、磐座だろう・・が大本とのこと。

速玉大社にお詣りした後、山沿いに歩いていると、聞いていた神倉神社の登り口があった。

その当時、決して体調も良くなく、安全のためには山登りは控えた方がよい状態だったのだが、登り口の鳥居のところまで行った途端、なんとしても登りたくなった。

上で倒れてもよい!

気を感じたのではない。

石段を見て惹きつけられたのである。

あんな石段はどこにも見たことがない。

ゆっくりだが、時間をかけて上まで登り、やがて神倉神社の本殿があって、ゴトビキ岩・・・と呼ばれる大きな磐座があった。この岩が、あの有名な熊野三山の大本・・である。それは、案内所で神倉神社には行かれませんか?と言われるはずである。

 

神倉神社登り口

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下から上を

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上から下を

ちょうどスキーのジャンプ台の斜面のように下が見えない

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この画像で感じがわかるかも知れない

這うような感じでないと降りることができない

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ゴトビキ岩

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この岩が熊野三山の大本

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新宮市街が見渡せる

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あまりにも急な石段を手をつきながら降りていた時、ふっと思い出した。

そういえば 熊野の火祭り という祭りがあって

白装束の松明を持った人たちが階段を駆け下りていた…
ただ、夜に大きな松明を持ってこのあまりにも急な石段を下れるものか?

と思いながら登口まで降りると、年配の方がベンチで休んでおられたので聞いてみると

確かにこの石段だとのこと

おそらく、無心になって駆け降りないと

少しでも怖いと思ってすると大怪我をするか

へたをすると死んでしまうだろうと思う

それぐらいの石段だった

 

ここは若い人たちにとっては、まさにパワースポットだろう

ただ、私はここでは気を感じていない

とにかく石段に驚いたのである

熊野三山の大本の磐座に気を感じないなどと

よほど気が抜けていたのかわからないが

この石段を歩けてよかったと思う

 

駅まで戻って、朝に案内してくれた方にお礼を述べておいた




気 ③ 谷川岳

 

魔の山 谷川岳・・

などという言葉を聞いたことがあるが

谷川岳自体は比較的登りやすく、高山植物も多い魅力的な山だった

湖国からはあまりにもアプローチが遠すぎて、気軽に行けるところではないが

尾瀬 に行くときに必ず立ち寄っているので、二、三度訪れたことがある

谷川岳自体に登る前に、林道を少し車で行くと

目の前に圧倒的な光景が突然現れる

谷川岳 一ノ倉沢・・・

ロッククライミングのメッカだが、これほどの岩場は他にはないだろうと思う

ただ、これまでに800名以上の事故や遭難による犠牲者がこの岩場で出ている

世界のどこにも事故や遭難によってこれほどの死者が出た山はない

先ほども言ったように、谷川岳自体に登っても、頂上から崖下を見下ろしても

それほどのものは感じない

ただ一ノ倉沢を下から見上げると、とんでもないところだというのがよくわかる

それは、ここで今までに数多くの人の命が失われたということを知っているからでなく

もともとこの一ノ倉沢の岩場が独特のところなのだろう

 

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頂上の稜線より崖下を望む

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手前の河原に人がいるので

スケール感がわかる

なお、今は以前のように林道を通行することができなく

公共の交通機関か徒歩でゆくかしかない

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谷川岳は双耳峰で

犬や猫の耳のように見える

今ならトトロの名が付くかもしれない

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左がトマの耳

右がオキの耳

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登っている時は変わった名前だなぁ

くらいにしか思わなかったが

ずいぶん後になって

急にふっと

「あ、そうか!」

と気が付いた

群馬県側から見ると

手前のピークがトマの耳

つまり 手前 の耳

奥のピークがオキの耳

つまり 奥 の耳

調べたわけではないがたぶんそうだろうと思う

ここは東北ではないかもしれないが

宮沢賢治の童話や詩などに出てくる方言で言うと

とまのみみどおぐのみみ

になるのだろう

 




気 ② 上高地

 

二十歳の頃だったと思う。友人たちと乗鞍高原の民宿に数泊したが、当時はまだ自然や山などなにも知らず、民宿の食堂に、上高地の、たしか大正池のポスターが貼ってあったと思うがなんとも思わなかった。ある日、単独行動をしてきた友人がきれいなところだったというので、翌日に皆で訪れて驚いた。

「こんなところが日本にあったのか!」

河童橋からの穂高連峰をみて衝撃を受けた。

振り返ってみると、あれがその後数多くの山や自然を訪れるきっかけだったかもしれない。

と言って、その後すぐに山登りを始めたわけではなく、

本格的に山歩きを始めたのは、数年後にアメリカへ行って Yosemite  を訪れてからになる。

リュックや寝袋をそろえたのもサンフランシスコ郊外の Berkeley である。

ちょうど ノースフェイス や シェラデザイン の店ができた頃だったと思う。

上高地へはあれから10回くらいは訪れているが、

少し地形が Yosemite に似ているかもしれない。

 

大正池から 穂高連峰

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穂高連峰 と 岳沢

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梓川

アズサ というのは カバノキ科の ミズメ のことだと思う

河畔に多かったのだろう

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大正池 と 焼岳

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田代湿原 と 穂高連峰

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田代池

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上高地

もともと 上河内 あるいは 神河内 と言ったらしい

明神池の近くに

神降地 という表記があるようだが

降 の字を当てたかはともかく

神 の字を当てても遜色のないところではある

 

釜トンネルができてからは梓川に沿って遡ってゆくのが普通になったが

以前は山歩きで徳本(とくごう)峠を越えて入るしかなかった

私は行ったことはないが、徳本峠からの穂高連峰の映像を見たことがある

神々しいという言葉がそのままの姿で

エストンも含めて昔の人は皆感銘を受けて上高地に出逢ったろうと思う

穂高岳というピークはない

つまり奥穂高岳前穂高岳北穂高岳はあっても

穂高岳穂高連峰の山塊全体を指して

御神体を指すのだろう

 

以前 安曇(あど)川で紹介した安曇(あずみ)族が関係しているのかもしれない

明治、大正の頃はほとんど訪れる人も少なく

一部の人が知っていただけだが

ウェストンが紹介してから徐々に知られるようになっていった

今では年間何十万、何百万という人が訪れる

気 ①

 

植物はほぼ活動を休止し、周辺の山野はほとんどが深い根雪に覆われ、

さらに人間活動まで自粛が続く今、

春までは Memories  に頼らざるを得ない…

 

 

元気、活気、覇気、病気、根気、精気、人気、景気、勇気、意気、狂気、短気、陽気・・・

 

気持、気分、気力、気候、気象、気品、気質、気概、気合、気性、気配、気絶、気色・・・

 

などなど、 気 という字のつく言葉は何十、何百とあるだろう

今までにいろいろなところを訪れて、稀に、何ヵ所かでその 気 にあたるものを感じたことがある

最近、若い人たちは パワースポット という言葉をよく使うが

自分の経験からはもう一つ馴染めない

熊野や恐山など 霊場 という言葉はあるし

大きな岩などに 磐座 あるいは 岩倉 という言葉もある

また 霊木 あるいは 神木 ということもあるが

古来、なにか、そのような 気 を感じる場所を必ずしも、あるいは敢えて、名付けていないような気もする

 

今まで自分が訪れて 気 を感じたいくつかの場所を振り返ってみようと思うが

必ずしも、そこだけなのでなく、

当時の、私の 体調や 季節や 時間帯や 天候や

いろんなことが関わってきていただろうとは思う

 

Grand Teton

各ピークに Grand Teton   Middle Teton   South Teton  などの名前がある

右端のピークは Mount Moran

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まずは、このブログの第一回目に取り上げた

Grand Teton …

24才だったと思う

Jackson という街まで行き、当時そこからは交通機関がなかったので

ヒッチハイクで山の麓のキャンプ場があるジェニーレイクまで

丘の影から、ティートン山脈が姿を表した時

たぶん私は、無意識に手をあわせて拝んでいたように思う

こういうところがあるのか…

ネイティブアメリカン

ティートンをみて死ね」つまり 死ぬ前に一度はティートンをみておけ

という言い伝えを残したくらいで

その言葉はすぐに納得できた

また 第一回のブログで書いた通り

この山の麓に住んだ老人の言葉の通りである

 

標高約4200m

手前の台地で2000mほどの標高がある

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今は 全米一美しい国立公園ということで

交通網や、施設や、ツアーなど 当時とは比べ物にならない

 

なお、年配の方なら・・・

「シェーン」という有名な西部劇の映画があったが、最後に

「シェーン カムバック!」という言葉と共にシェーンが去ってゆく場面の、

背後に映っているのが グランド ティートン である

ニホンザル

 

北限のサル・・・

下北半島に生育するニホンザルが北限の猿にあたる。

考えてみれば、ゴリラもチンパンジーもオランウータンもテナガザルも

その他小型の霊長類もほとんどは熱帯か亜熱帯に生息している。

海外からの人は珍しがって スノーモンキー と呼ぶらしい。

今年は予報通り雪の多い年になりそうだが、こんな冬でも冬眠はせずに冬を越す。

最近は人里に来て、畑の作物や果樹を、中には人家の軒や縁側などの食物を狙う輩もいる。

小さな畑で少しの野菜を育てているが、収穫期を見越して狙ってくる少数の離れ猿がいて、一生懸命になって育てたものを台無しにされると本当に腹が立つ。ニホンジカによる食害も酷かったので、小さな畑を囲い、丈夫な網を全面に貼っても、ニホンザルはなんと歯で噛みちぎってでも入る。被害に遭うと、本当にがっくりきて腹が立つ・・・

が、ある時思ったのだが

これは今の自分達の姿に似ていないか?

と、考えたら、少し腹が立たなくなった。

私たちの小さな頃は、みんながもっと貧しかった。食べ物や服も生活様式も・・

ものに関しては本当に驚くほど豊かになっている・・

ただ、異常な行動をする人間がどんどん増えてきた。

元に戻るわけにはいかないが、振り返って見る必要はあるような気がする。

 

 

ニホンザル(霊長目 オナガザル科 マカク属)

親子なのか、この猿は野生のマメガキを食べている

昔の穏やかな頃の自分達を見ているような気がする

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伊吹山 ②

 

 

湖岸はもとより、湖西の至る所から対岸の伊吹山は見える

以前から不思議に思っていたことだが

琵琶湖岸から見ると伊吹山は比較的小さく見えて

内陸から見ると大きく見える

内陸から見た場合、湖岸からの場合より距離が遠くなるのでむしろ小さくなるはずである

ところが田園風景や河川越しに見たりするとかなり大きく感じてしまう

 

伊吹山 と 竹生島(ちくぶしま)

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左 伊吹山地 右 鈴鹿山地

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一度比較してみようと思っていたが

内陸と湖岸で同じレンズで撮ってみて並べてみた

 

24mm(換算36mm) 内陸より

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24mm (換算36mm) 湖岸より

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内陸の撮影位置は湖岸より5Kmほど手前になる

こうやって見てみるとやはり湖岸からの方が少し大きく写っている

 

 

100mm (換算160mm)内陸より

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100mm (換算160mm)湖岸より

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やはり湖岸から見た方が少し大きく写っている

 

ということは、やはり前面にある物の違いによって大きさの感覚が異なって感じられるのだろうと思う

前面に全面、平な琵琶湖の湖面が広がるのに対して

田園や丘陵や河川やあるいは街並みやを通してみると大きく感じているということになる

けれど、やはり時や場所によっては伊吹山は迫ってくるようにかなり大きく見える

伊吹山 ①

 

植物をよく知っている人なら、このブログは琵琶湖の湖西、湖北を取り上げていながら、なぜ伊吹山が出てこないのかと不思議に思われるかもしれない。

理由が三つほどある。

一つは昨今の自主規制や感染防止等のため、ここ数年は、野外といえど自由に行動できなかったこと。

二つ目には、もう七、八年近く前からになるか、以前から心配していた獣害が頂上のお花畑にまで及んで、以前と比べて見るに忍びないほどの姿になってきたこと。最近では柵を設けて頂上地域だけは守ろうとしているようだが、以前の姿に戻るのにはあと何年かは、あるいはもっとかかるかもしれない。

三つ目は、私自身の体調の問題で、残念ながら、以前のように自由に山歩きができなくなったこと。

ただ、伊吹山は九合目までドライブウエイが通じているので、体調の良い時にゆっくりと時間をかければ花畑を廻ることはできるかもしれない。今年の夏にでも久々に歩ければありがたいのだが・・・

伊吹山だけでなく、以前から登っていた近隣の山々でも花々の多いところは数多くあるので残念な限りだが、ここ数年取り上げているところは、できるだけ工夫して今の体調でも廻れるところを選んだり、新しい機材を用いたりしている。いずれ、昨今の非常事態が終わり、場所や時期を工夫すれば高山帯とて行けないことはないかもしれない。

 

昨年の暮れから、カテゴリーというものを取り入れたが、今は、植物にとっては活動が休止している冬の時期にあたるということに加えて、また行動規制がかかりそうな情勢になってきた。私は残念だなぁで済むが、一般の人々はどれだけ大変な人がいることかと思う。唯一冬の景色を撮ることもできるが、以前のように早朝から冷え込みの厳しい中を、あるいは積雪の多い中を行動できなくなってきている。

そのこともあって、カテゴリーに Memories という項目を加えようと思う。主に冬場の時期に、かつての山行や、かつて撮った画像を取り上げたり、あるいは、四季それぞれの該当する時期の記録を時折振り返ったりできればと思う。

 

それゆえ、今回の以下の画像は過去の伊吹山での画像を集めたものである。

もちろんこの冬の最中、誰が見ても今現在の伊吹山の姿でないことはわかるが・・・。

なにしろ伊吹山は11m82cmの世界一位(日本一位ではない)の積雪量観測記録を持つ山である。

普段取り上げているものは、断りのない限り当日、前日のものか、あるいは編集に時間がかかったとしても、一週間以内くらいのものである。

 

ヒロハシモツケバラ科

奥の峰は、伊吹北尾根と呼ばれる花々の多い尾根

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シモツケソウ(バラ科) メタカラコウ(キク科)

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シモツケソウ(バラ科

今は一部網で囲まれた場所を除いて、このような見事な姿は見られない

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シモツケソウ(バラ科) サラシナショウマキンポウゲ科) ヨツバヒヨドリ(キク科)

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サラシナショウマキンポウゲ科) フジテンニンソウ(シソ科)

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ミヤマコアザミ(キク科) イブキトラノオタデ科

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ミヤマコアザミ(キク科) クサフジマメ科

白いものはミヤマコアザミの綿毛

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キオン(キク科)

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キンバイソウ(キンポウゲ科

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ヒロハシモツケバラ科

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ルリトラノオ(オオバコ科)

伊吹山の固有種

つまり世界中で伊吹山にしかない

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グンナイフウロフウロソウ科

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イブキシモツケバラ科

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ヤマタツナミソウ(シソ科)

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キバナノレンリソウ(マメ科

日本ではここのみ、ヨーロッパに分布するため、信長が薬草園に持ち込んだものと言われる

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エゾフウロフウロソウ科

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イブキトリカブトキンポウゲ科

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イブキコゴメグサ(ハマウツボ科)

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イブキフウロフウロソウ科

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キバナノカワラマツバ(アカネ科)

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ヒロハノアマナユリ科

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ヤマトグサ(アカネ科)

牧野富太郎が日本で初めて命名した植物

日本固有種で、日本で最初に学名がつけられた植物と聞いていたが

トガクシソウが最初らしい

二番目にあたる

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オオイタヤメイゲツ(ムクロジ科)

伊吹山の頂上部周辺にはブナ帯の代わりにこの植物が分布している

名前の通り、紅葉はすこぶる美しい

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四季の色 ②

 

四季の色 ①  より続く・・・

 

 

春 夏 秋 冬 のそれぞれに 

青 朱 白 玄 をあて

そこから 

青春

朱夏

白秋

玄冬

という言葉が生まれてきている

 

そしてそれらの言葉を人生の四季に例えて使われるようになった

 

この話を若い人たちに話すと

驚いて、目を見開いて聞き入る人がいる

その人は感性が深く、感受性の豊かな人だろうと思う

 

どうかよい年になりますよう・・・

 

 


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四季の色 ①

 

四季をそれぞれ色で表現してみてというと、皆さまざまな色をあげる

春はピンクで、夏は青、秋は茶色で、冬は白とか・・・

 

昔の人は 

春は 緑

夏は 朱色

そして秋はなんと 白

さらに冬は 黒 で表現した

 

春の緑は昔は青と表した

青信号とか、目に青葉 とかの言葉に残っている

秋の色に 北原白秋 という詩人がいたのを思い出す

冬の黒は昔は玄(くろ)で表した

玄人とか玄米 とかの玄にあたる

 

             四季の色② に続く・・・

 

 


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師走

 

暖かな日々が続いていたが、中旬にまとまった降雪があり、その雪もほぼとけて安心していたら下旬からはとんでもない豪雪になってきた。おそらく正月は、初詣どころか、どこへも出かけることはできないだろう。今回の積雪でほぼ1メートル。今までに1メートル以上の積雪はあったが、それは何日か降り続いてのことで、今回のように1日で積もったのは記憶にない。クリスマス以降は毎日除雪の日々が続いた。積雪による車の渋滞のニュースばかりが目に付くが、北陸や東北や、大雪で孤立したり、被害が出ているところも多いだろうと思う。

 

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野鳥 2021

 

今年に出逢った野鳥をまとめてみた。

いつもながら、野鳥を目的に出掛けて行くことはほとんどない。

植物や風景を撮っているときに出逢った野鳥ばかりになるが、これらの画像の中で、コハクチョウだけは場所を聞いて出かけている。

けっこういろいろな野鳥に出逢うもので、そのとき望遠レンズを持っていた時だけ撮れた画像になる。

考えてみれば、野鳥も、種子を散布したり、昆虫を捕食したり、自然の中で大切な役割を果たしている。よく出逢って当然である。

 

 

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野鳥監修  宮田 正春