奈良 ② 山の辺の道 崇神天皇陵

 

新緑が鮮やかなのはその頃を狙って出かけたのだが

うれしいことにところどころに桜が咲き残っていてくれた

時期的に カスミザクラが多かったと思うが

なかには ヤマザクラもあったように思う

 

三輪神社から石上神宮まで歩いた中で

多くの優れた景観に出逢ったが

最も印象に残ったのが

崇神天皇陵の景観だった

 

 

 

www.youtube.com

 

新緑と桜と堀の水面と・・・

どうぞ見てくださいと言わんばかりの景観である

 

ただこの桜は何なのかもう一つよくわからない

時期的に カスミザクラ だが色が濃すぎる

ヤマザクラ は種々の色の葉が花と同時に展開するはずで

エドヒガンザクラ は時期的に遅すぎるのと

水面に花が散り始めているが

その時期には花びらが 薄墨色 になるはずで

 

ただ一部黄緑色の葉が展開し始めているので

エドヒガンザクラ が水面の影響などで遅くに咲き出し

よく色を保っているのかもしれない

 

花を近くで見ればわかるが

古墳内に入ってゆくわけにもいかない

 

なお 風の音が入っていて聞き苦しいが

雰囲気は感じられるかもしれない

 

またこの古墳は直に見るとかなり大きい

この画像は後円部の一部を見ているだけで奥に前方部が長く伸びている

古墳というのはこんなに大きいのかと驚くほどである

もともと何らかの地形を利用したかもしれないが

堀の部分を掘って前方後円部と呼ばれる部分に積み上げていくのだろうが

人力のみでこれをするというのは驚くばかりである

 

 

以下は崇神天皇を調べていて・・

 

崇神天皇は第十代天皇で 瑞籬(みずかき)の宮(今話題の纏向遺跡のあたりだろう)に

都を移したが 疫病が蔓延し人口の半ばが失われたとある

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)への託宣

卑弥呼の墓と話題になっている箸墓古墳に葬られている巫女だろう)

あるいは崇神天皇自身の夢に 大物主神が現れ

我が子孫をして我を祭れ・・とのことで

それによって疫病が治まり これが

三輪山御神体とする大神神社の始まりである・・・とある

 

少しだが

なぜ大和の本拠地に大国主命の魂を祀る神社が存在するのか

わかったような気がする

 

それにしても 倭迹迹・・・・と呼ばれる巫女の名前は何とかならなかったものか?

 

 

奈良 ② 山の辺の道 風景

歩いているうちに気付いた

あぁ ここは昔の 私たちが子供の頃の風景だと

 

景観条例・・とかいうものがあるのだろう

また歩けばわかるが

至る所に古墳がある

 

下手に掘れない 道も付け替えられない

田も畑も昔の面影のままである

 

いつの頃だったろう

農地が効率を求めて整理され

直線的な区画ばかりになったのは

 

ここの農地は昔のまま

楕円形だったり

三日月型だったり

大きかったり 小さかったり

 

道は曲がりくねって

太かったり細かったり

上がったる下がったり

 

と言って住んでおられる人たちにとっては

不便この上なく 効率も悪いはずである

 

ただ

効率や利便性ばかりを求めて

失ってきたものも多かったのは

今のこの国の姿を見ればわかる

 

何にせよ

古墳や遺跡のせいで

あるいは古墳や遺跡のおかげで

ここは昔の面影を保っている

 

奥の山が 三輪山

右奥が 三輪山

 

三輪神社からの 山の辺の道 の始まり

 

 

 

長岳寺

 

 

お地蔵さんだった

 

奥は古墳

 

景行天皇

 

この日は黄砂がひどかった

溝端に生える

ギシギシ ヒメツルソバ ミゾソバ

遠目に見える白い花?がわからない

フジの白花だろうか?

 

右 耳成山

奥 畝傍山

 

 

シイ カシ クスノキ などの照葉樹が多い

 

モウソウチク

竹の秋

 

 

 

 

 

 

 

立派な門構えの家も多い

 

この歌は私にも読めた

 

 

 

奈良 ② 山の辺の道 神社

 

どこから歩き始めてもよいのだろうが、三輪神社(大神神社)からにした

 

神様の御魂(みたま)には 和魂(にぎみたま)と 荒魂(あらみたま) があるとされ

さらに 和魂は 幸魂(さきみたま)と 奇魂(くしみたま)の二つの働きにわかれる

出雲の大国主命の 和魂 を 大物主神 の名で三輪山に鎮めたとされ

それゆえ神社の裏にある三輪山御神体にあたる

 

要するに出雲の大国主命の魂を祀ってある

奈良は大和であり

大和朝廷の発祥、本拠地のはずである

なぜ国譲りをしたという出雲の神が大和の中央に祀ってあるのか?

 

歴史をよくご存知の方はわかっておられるのかもしれないが・・・

 

今回の奈良行きでは

出雲系の神社を巡っている

朝早く東の方から神神社へ向かうべく 桜井の街へ向かっていると

いきなり道路表記に 「出雲」 の地名が出てきたのには驚いた

 

早朝だったのでやはりすがすがしい

大鳥居

奥に見えるのが 三輪山

参道

 

拝殿

 

本殿はなく 三輪山御神体

 

三輪山登拝口 狭井神社境内にある

もちろん許可なく登れない

 

狭井神社

三輪神社のすぐ北にある

大物主神の荒魂を祀ってある


薬井戸 

万病に効くという薬水が湧き出ている

一杯は飲んだが・・・

 

檜原神社

 

石上(いそのかみ)神宮

今回の終着点の神社

 

奥に見えるのは拝殿だが ここはさらに奥に本殿があり

七支刀 と呼ばれる刀が御神体とのこと

 

この境内には闘鶏なのか鶏なのか

放し飼いにされている

 

 

ずいぶんと昔に 出雲大社(いずもおおやしろ とよむ)には行ったことがあるが

出雲にせよ 松江にせよ 東の方に見える圧倒的な山は

伯耆大山 である

大国主命 が出雲にいた頃に やはり大山は神の山だったろうと思う

のちに何らかの事情で大和に移り住んだとすれば

朝日の昇る東の山は 三輪山 だったのではないだろうか

 

よく山へ登っていた経験から

思いつきで言っているだけである

やはり 三輪山には磐座もあるらしく

何らかの魂がこもっているのだろう

 

ただ

富士山 白山 立山 などだけでなく

各地の山々は昔からそこに棲む人々に大きな影響を与えてきただろうとは思う

 

若い頃 よく山へ登っていた頃に

なぜ山へ登るのか?

とのよくある問いに

「そこの神がおわすから・・・」

と答えた人がいたが

日本人の答えの正解だろう

 

なお 山の辺の道を歩きながら

三輪山 というのは 御和山 なのではないだろうか・・・

などと考えたりしていた

三輪神社の近くに 美和 の森 というのがあって

たくさんの桜が植えられてあった

 

美和の森

耳成山が少し見える

 

 



和食とか和服とかいう

和というのはこの国を表すのだが

和というのは 出雲の国を中心とした頃の名前なのではないだろうか?

とか考えながら歩いていた

 

やまとは 大和 と表す 

なぜだろう?

 

 

奈良 ①赤目四十八滝 植物

ずいぶんと前になるかもしれないが

以前訪れた時に

シロバナのショウジョウバカマを見たのがよく印象に残っている

ということは今回よりも早い時期に

もしかすると吉野の桜と併せて訪れたのかもしれない

ただ 木々の芽吹きは今回の方が鮮やかだったと思う

 

カスミザクラ(バラ科

近づけないがカスミザクラだろう

 

タチツボスミレ(スミレ科)

 

ヤマハコベ(ナデシコ科)

 

イズセンリョウ(サクラソウ科)

照葉樹の林床でよく見かける

 

ツルカノコソウ(スイカズラ科)

 

コチャルメルソウ(ユキノシタ科)

 

オノマンネングサ(ベンケイソウ科)

 

サンショウソウ(イラクサ科)

 

ハシリドコロ(ナス科)

猛毒の植物

 

ショウジョウバカマ(メランチウム科)

シロバナショウジョウバカマかもしれない

 

ナガバノモミジイチゴバラ科

 

イワタバコ(イワタバコ科)

 

ヤマルリソウ(ムラサキ科

 

キランソウ(シソ科)

 

カテンソウ(イラクサ科)

 

カゴノキ(クスノキ科

鹿子の木 つまり バンビの意味

 

ヤマグルマ(ヤマグルマ科)

一科一属一種の古い時代の植物

 

イヌブナ(ブナ科)

 

アセビツツジ科)

 

 

 

 

奈良 ① 赤目四十八滝 滝

久々に奈良を訪れたので数回に分けてアップする

吉野の桜やその他の桜も見たいが 人の多さが大変なので

渓谷の新緑と早春の植物

山の辺の道の新緑の景観と古墳や神社の歴史散策に絞って

 

赤目四十八滝

山の辺の道

みたらい渓谷

葛城山麓の神社

 

を訪れた

 

赤目四十八滝 はずいぶんと前に訪れたことがあるが

厳密には奈良県ではない

ギリギリ三重県に入るが

一応今回は奈良の中に入れておく

 

 

 


www.youtube.com

 

 

 

赤目四十八滝は今までに二度ほど来たことがあるが

赤目五瀑とされる五つの滝のうち上流にある荷担滝と琵琶滝は未だ見たことがない

今回も荷担滝の手前までしか行けなかった

ある程度の距離と 少し高度差があり

無理をして早く歩くことができない上に

花と新緑と滝と渕と

多くの障害があり なかなか進めない

 

以前 飛騨の 宇津江四十八滝に行ったことがあるが

植生はあちらの方が見応えがある

ただ 滝自体はこちらが見事なのかもしれない

先ほど言ったようにすべて見たわけではないが

 

全国多くの滝に

不動滝 権現滝 観音滝 大日滝 等

修験道や仏教の如来、菩薩、明王などの名前がついている

それだけ多くの人々が山中に分け入って

修行をしていたということだろう

 

 

 

一 二 三 リンソウ

イチリンソウ ニリンソウ サンリンソウ の区別だが

イチリンソウの花は他のものよりずいぶんと大きい

普通一株に一輪だが

私がよく「ニリンソウのふりをしているイチリンソウ

と呼んでいるような一株に二輪がつくものも少しだがある

 

昆虫を集めるためには

イチリンソウは一発必中のような感じで

大きく目立つものを一つ開花させるが

ニリンソウは小さくとも

数で あるいは時間差攻撃で開花する

ニリンソウだが蕾が三つあるものもある

 

イチリンソウキンポウゲ科

イチリンソウには葉柄(葉の付け根の柄)がある

 

葉柄がある

 

 

ニリンソウキンポウゲ科

 

ニリンソウの葉には葉柄がない

 

トリカブトキンポウゲ科)の幼葉

ニリンソウの葉に似ている

ほとんどのキンポウゲ科の植物は有毒だが

ニリンソウには毒がない

ところがニリンソウの葉はトリカブトの幼葉と似ている

まあトリカブトはかじれば舌がピリピリするし

あえてニリンソウの葉を探して食べることもしないだろうが

 

 

サンリンソウ(キンポウゲ科

必ずしも三輪咲くわけではない

イチリンソウに比べてずいぶんと小さい

イチリンソウの小型のような感じで葉柄がある

イチリンソウ ニリンソウは平地にあるが

(川沿いとか水分の多いところに多い)

サンリンソウは標高の高いところにしかない(はずである)

 

ずいぶんと前に信州の標高1000メートルほどの湿原で出逢ったが

まぁ 嬉しいこと・・・

うわぁー これがサンリンソウや!

宝物を見つけたようなものである

ほとんどただでこれほど喜べるのだからありがたい・・・

 

京都府立植物園 植物

 

この時期は特に桜園が目につき、また人も多く集まるが

各所に特徴的なものも見られた

 

品種名は見ていない

同じ箇所につく花でも花色が異なっている

 

 

オオシマザクラバラ科

オオシマザクラは日本固有の野生種である

オオシマは伊豆大島だが、関東以南の海岸沿いに分布する

各地に植えられている

 

ミドリザクラ(バラ科

マメザクラの一種とのことで花柄や萼片が緑色を帯びる

 

 

リキュウバイ(バラ科

利休梅だが江戸時代に作り出されたもので利休はこの花を知らない

茶花に用いられるのでこの名がついた

 

タチバナ(ミカン科)

左近の桜 右近の橘 のタチバナである

一般の温州みかんに比べてかなり小さい

 

カラタチ(ミカン科)

垣根に用いられるので歌の歌詞にもあるが

カラタチバナ から来ている

花はまだ蕾だった

 

 

フタバアオイウマノスズクサ科)

葵祭に用いられるフタバアオイである

徳川家の家紋は三つ葉葵だが

ミツバアオイなどという植物はない

 

ショカッサイ(アブラナ科

諸葛亮孔明が北伐時に五丈原で兵士に栽培させたとされる

オオアラセイトウ ムラサキハナナ ともいう

 

ブナ(ブナ科)

ブナの芽吹き

 

京都府立植物園は開設されてちょうど今年で100周年とのことだが

全国初の公立植物園である

京都という街は伝統的なイメージが強いが

(もちろん伝統文化の中心と言ってもいいが)

新しいことに挑んでゆくというか

私が知っているだけでも 全国初の小学校開設 とか

全国初の市電開設 とか

かなり革新的な面を持っている

 

794ウグイス平安遷都 以来千年の都だった街であるが

簡単に千年続いたわけではなく

幾度も戦乱に焼かれ

権力者が代わり

ついには遷都によって天皇も皇居へ移り

それら幾度もの危機を乗り越えてきている

 

武家政権が江戸へ移り天皇と公家がいるだけ

になっても角倉了以という商人が

私財をはたいて 保津川 の開削

さらには 高瀬川の 開削を行なっている

これらによって経済がずいぶんと発達した

 

明治になって天皇も皇居へ移っても

田辺朔郎が若干23歳で琵琶湖疏水を開削し

さらには 水力発電所を蹴上に開設して電力を生み出し

市電を走らせ 街を甦らせている

 

ただの街ではない

今の日本が見習うべきなのかとも思える

ただし、いずれの時も簡単にはできないことを成し遂げ

さらには、教育に力を注いできている

 

私は 京都府民 京都市民ではない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

京都府立植物園 色彩

 

全国初の公立植物園として大正13年に開設されて今年で100周年を迎えたという

ずいぶんと昔からよく訪れている植物園だが

私の好きな自然生態園ができたのみならず

バラ園、桜園、梅園 その他あらゆる箇所が充実してきていて

特に近年の桜園は目を見張るものがある

京都には桜で有名なところがいくらでもあるが

もうここだけで十分だろう

 

この日は小雨上がりのどんよりと曇った日だったが

先日の休日のようなとんでもない混雑(だったらしい)もなく

多彩な木々や花々を楽しむことができた

この日はそれほど時間がとれなかったが

私にとっては たった200円で一日中遊んでいられる場所である

 

 

 

 


www.youtube.com

 

なお 今回は桜は園芸種も多いことから種名は省いてある

また個々の特徴的な植物はこの後でまとめて紹介する

 

ずいぶんと昔

まだ仕事に就けずアルバイトをしていた頃

植物園の事務所にここで雇ってもらえないかとお願いしにきたことがある

申し訳なさそうに断られたが当たり前である

公立の植物園に はいそれならと雇えるわけがない

今では懐かしい想い出である

 

私は京都市民、府民ではないが

好きな植物園である

 

プレリュード

 

たいていの人は聞き覚えのある曲ではないかと思う

平均律クラヴィーア曲集 第一巻第一番 プレリュードフーガ

BWV  846 ハ長調

などという長い名前がついている

 

平均律というのはピアノなどの調律の仕方で

クラヴィーア というのは チェンバロのような楽器の名前

プレリュードは 前奏曲

フーガは 遁走曲 と訳される

1オクターブの 12音を主音を中心とする長調短調について

それぞれプレリュードとフーガがあるので24ある

 

・・・らしい

 

まあ素晴らしい曲だが

音や和音というのか

心理的に不安になるようなものをわざと入れてあって

それがまた解放されるような流れになっている

 

・・・らしい

 

 

 


www.youtube.com

 

 

急に桜が咲き出し 不安定な春である

願わくば 昨年の夏のような

異常な気候にならぬように

 

 

 

 

 

イチゲ

 

少し前のもの(今月の上中旬)になる

 

キクザキイチゲアズマイチゲ

イチリンソウをいっしょにとりあげようと思ったが

彼岸になっても冷え込んで開花が遅れそうなのでやめる

 

イチゲは 一華 だろう

園芸の花では アネモネ にあたる

 

キンポウゲ科イチリンソウ属で

 

イチリンソウ

ニリンソウ

サンリンソウ

キクザキイチゲ

アズマイチゲ

ユキワリイチゲ

ヒメイチゲ

ハクサンイチゲ

さらにシュウメイギクが入る

 

 

キクザキイチゲキンポウゲ科

 



 

 

アズマイチゲキンポウゲ科

 

 

 

 

いかにも 一華 にふさわしい花々だが

ハクサンイチゲ や シュウメイギク は

イチゲとも言えない

まあ

イチリンソウに対するニリンソウサンリンソウの感じだと思えば納得できる

 

女優さんにもちょうど山の好きな イチゲ さんがおられるが

たしかに 一華 にふさわしい方である

字は違うが・・・

 

早春の花々には清々しいものが多い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝 霧

 

朝から深い霧で、山肌に雲がかかるような景観が見られた

このような日は幾分寒さも和らいで、しっとりとした風景が見られる

 

 

 

 

 

 

 

ヤマエンゴサク(ケシ科)

 

 

 

兵庫県の明石のあたりに 朝霧 という名前の駅があったようにも思い

調べてみたらやはりあった

ほぼ明石海峡に面していて朝霧もよく発生するのだろう

 

呉の雪風 佐世保の時雨・・ というのをご存じだろうか

大戦時 幸運艦と呼ばれ最後まで沈まなかった駆逐艦の名前である

帝国海軍の駆逐艦には 気象事象の名前が付けられていた

朝霧というのもあったように思い調べると

やはりあった

 

響のいい言葉である

 

 

吹雪の彼岸

 

暑さ寒さも彼岸まで・・・

昔の人はすごいなぁ・・と感心していたが

そういった言い伝えが崩れ出し環境変化がはなはだしくなって久しい

 

昨日 春分の日は久々に実家の墓参りへ行き、皇子が丘公園にある早咲きのハツミヨザクラを

眺めていたが、急に時雨れて気温も下がり荒天になってしまった

うっすらと降り積もった今朝も、昼からはまた吹き降りとなり、夕方にはまた積もり出してきている

 

三月下旬や四月になってさえ雪が降り積もった記憶はあり

荒天自体はありうることかとも思うが

今月になってからの気温変化が激しすぎる

三寒四温・・などという言葉はどこかへ行ってしまっている

 

ハツミヨザクラ(バラ科

寒い春分で誰も見に来ていなかった

 

3月21日 午後二時頃の平地の映像である


www.youtube.com

 

 

セツブンソウ

 

キンポウゲ科の植物の中で早春に咲く花々は

 

イチリンソウ ニリンソウ サンリンソウ 

キクザキイチゲ アズマイチゲ ヒメイチゲ ユキワリイチゲ

バイカオウレン ミツバオウレン セリバオウレン

フクジュソウ セツブンソウ

ミスミソウ スハマソウ

サバノオ シロカネソウ の仲間

 

 

などなど 春の妖精(スプリングエフェメラル)と呼ばれるものも含めて

多くの人に好かれているものばかりになる

 

他にも毒性の強いトリカブト

高山に分布するハクサンイチゲ

水中に戻って行ったバイカモ

たくさんあるショウマの仲間など

 

キンポウゲ科の植物は進化の上では古い時代の植物にあたる

逆に新しい植物はキク科やラン科など

それゆえ生き残るのに工夫をしてきたはずで

他の植物の分布が少い高山や水中や

あるいは毒性を強めて生き残ったり

 

その中で 時間的に他の植物が活動を始めていない

早春に開花して初夏には一年の活動を終えてしまうものが

上記のものにあたる

 

ただいつも思うに

厳しい環境に咲く高山の花々や

これら早春の花々に惹かれるのはなぜだろう?

何か大切なことを教えてくれているようにも思える

 

 

セツブンソウ(キンポウゲ科

 

 

 

 

 

 

キバナノアマナユリ科

アマナの仲間はチューリップの原種









天満宮

小さな天満宮だが、少しだけ梅林がある

京都の社寺や各地の有名な梅林にも行ってみたいが

人混みを避ける習慣がついてしまった

 

都の邸宅にあった 桜は 道真との別れを惜しんで枯れたという

梅は 有名な 東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ

の歌に呼応して一夜のうちに太宰府に飛んできたという

またのちに 松が 遅れて飛んできたといい 老松(追い松)という

要はそれだけ花の、植物の好きな人だったのだろう

 

藤原摂関家の神社(春日大社がそうなのかもしれないが)

でなく

そういった人の神社が人々に親しまれているのは

ありがたく思える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらく竜巻のような突風が通り過ぎて行ったのだろう

数年前の台風時に近くの湖岸にある街がずいぶんと大きな被害を受け、

この神社の左側にある建物も大きく壊れたように思うが、

社殿はまったく被害を受けていない

 

天神様・・・である

ヒヨドリヒヨドリ科)

クスノキクスノキ科

 

 

雪景色 ②

 

なんのことはない

気温はまったく上がらず

午後も雪は降り続いた

護岸工事が進み ずいぶんと少なくなってきた川辺林だが

一気に雪化粧してくれた

 

日差しの違いでこれだけ変わる

 

このケヤキの中央に道路が走っている