奈良 ② 山の辺の道 崇神天皇陵

 

新緑が鮮やかなのはその頃を狙って出かけたのだが

うれしいことにところどころに桜が咲き残っていてくれた

時期的に カスミザクラが多かったと思うが

なかには ヤマザクラもあったように思う

 

三輪神社から石上神宮まで歩いた中で

多くの優れた景観に出逢ったが

最も印象に残ったのが

崇神天皇陵の景観だった

 

 

 

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新緑と桜と堀の水面と・・・

どうぞ見てくださいと言わんばかりの景観である

 

ただこの桜は何なのかもう一つよくわからない

時期的に カスミザクラ だが色が濃すぎる

ヤマザクラ は種々の色の葉が花と同時に展開するはずで

エドヒガンザクラ は時期的に遅すぎるのと

水面に花が散り始めているが

その時期には花びらが 薄墨色 になるはずで

 

ただ一部黄緑色の葉が展開し始めているので

エドヒガンザクラ が水面の影響などで遅くに咲き出し

よく色を保っているのかもしれない

 

花を近くで見ればわかるが

古墳内に入ってゆくわけにもいかない

 

なお 風の音が入っていて聞き苦しいが

雰囲気は感じられるかもしれない

 

またこの古墳は直に見るとかなり大きい

この画像は後円部の一部を見ているだけで奥に前方部が長く伸びている

古墳というのはこんなに大きいのかと驚くほどである

もともと何らかの地形を利用したかもしれないが

堀の部分を掘って前方後円部と呼ばれる部分に積み上げていくのだろうが

人力のみでこれをするというのは驚くばかりである

 

 

以下は崇神天皇を調べていて・・

 

崇神天皇は第十代天皇で 瑞籬(みずかき)の宮(今話題の纏向遺跡のあたりだろう)に

都を移したが 疫病が蔓延し人口の半ばが失われたとある

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)への託宣

卑弥呼の墓と話題になっている箸墓古墳に葬られている巫女だろう)

あるいは崇神天皇自身の夢に 大物主神が現れ

我が子孫をして我を祭れ・・とのことで

それによって疫病が治まり これが

三輪山御神体とする大神神社の始まりである・・・とある

 

少しだが

なぜ大和の本拠地に大国主命の魂を祀る神社が存在するのか

わかったような気がする

 

それにしても 倭迹迹・・・・と呼ばれる巫女の名前は何とかならなかったものか?