葛城山麓

 

葛城山麓にあるいくつかの神社を訪ねてみたが

ほとんど中腹と言ってよいくらいの所にある

 

南にはおそらく大峰山

東には高取山などとその手前の丘陵

その少し北には畝傍山と大和盆地が見えていた

 

古代になぜこのような葛城山の中腹とも言える傾斜地に出雲からの人々が住み着いたのか

周りの景色を見渡していたがよくわからなかった

 

ただ 役行者 も葛木系賀茂氏だといい

父が出雲系とある

 

大阪の人にとっては葛木山麓というのは行き慣れた場所かもしれないが

ここは私の中の奈良の概念からは外れていた

東大寺があり薬師寺があり法隆寺があり

明日香があり 吉野があり 宇陀があり さらに大峰山系がある

それらが奈良だったが 今回 櫻井から天理へと続く山の辺と

葛木山麓が加わった

考えてみれば空海の開いた高野山もまったくの飛び地ではなく

奈良からこれら葛木山麓の延長にあるように思える

 

南方向 大峰山

 

おそらく 弥山

 

東方向

北東方向

畝傍山とその左に耳成山が見える

 

 

高鴨神社

上賀茂 下鴨神社 の大元はここ葛城山麓にある

それほど大きな神社でもないが 池があり落ち着いた雰囲気の森である

 

アラカシ(ブナ科)

 

スギ(ヒノキ科)

 

 

 

一言主神社

 

 

 

イチイガシ(ブナ科)

 

拝殿

 

黄緑色のケヤキ(ニレ科)の奥に本殿がある

 

イチョウイチョウ科)

 

ムクロジムクロジ科)

 

亀石

 

 

 

鴨都波神社

拝殿

 

本殿

 

イチイガシ(ブナ科)

 

ケヤキ(ニレ科)

 

 

いずれの神社もけっして大きな神社でも荘厳な神社でもないが

古からの神社らしい古木とともに

落ち着いた空気感が漂う場所である

 

鴨族 という部族だが

古代 色々な時期に 場所で活躍したらしい

京都を造ったのは 鴨族と 秦氏 だという

出雲王朝の末裔とされる 富家 は

鳶 が象徴とされる

そういえば奈良の南から和歌山にかけては 熊野 である

 

星野道夫さんの写真集にアラスカ海岸ぞいの原住民の廃墟を撮ったものがあり

トーテムポールが朽ちていて

その先に彫られているカラスやフクロウがその部族の象徴とされていたという

ちょうどアメリカ原住民のシャイアン族やチェロキー族、スー族などを思い浮かべれば

そのような感じだったのではないかとも思える

アメリカ原住民と異なるのは

日本の場合はそれら部族が徐々に統一されていったということだろう

 

それにしてもこの国の場合は

全国の神社にその地域の 歴史 と 植生などの自然 の両方が残されているのがすばらしい

 

 

これで今回の奈良シリーズは終わるが

自然と歴史と文化と

いい旅ができたように思う