熊野三山はすべて詣でたことがある。
ただ、熊野本宮大社も熊野那智大社も熊野速玉大社もあれほど有名なところであるのに関わらず、気を感じたことはない。知らなかったが、本宮大社は明治の頃までは、今の小高い丘の上ではなく、川原の中洲にあったようで、洪水によって流されたため移転したとのこと。そういえば、川原の方にとんでもなく大きな鳥居があったのは覚えている。いつかもう一度行けるときがあればそちらの方にもいってみたいと思う。
新宮の街に着いて、駅の観光案内所で地図をもらおうと入ったら、神倉神社には行かれませんかという。知らなかったので、余裕があれば行きますくらいに答えておいたが、そもそもなぜこの街は新宮というのか聞いてみたら、本宮大社に対して速玉大社が新宮なのではないらしい。というか、熊野三山の大本は神倉神社であるらしく、それも山上にある大きな岩・・・岩倉、磐座だろう・・が大本とのこと。
速玉大社にお詣りした後、山沿いに歩いていると、聞いていた神倉神社の登り口があった。
その当時、決して体調も良くなく、安全のためには山登りは控えた方がよい状態だったのだが、登り口の鳥居のところまで行った途端、なんとしても登りたくなった。
上で倒れてもよい!
気を感じたのではない。
石段を見て惹きつけられたのである。
あんな石段はどこにも見たことがない。
ゆっくりだが、時間をかけて上まで登り、やがて神倉神社の本殿があって、ゴトビキ岩・・・と呼ばれる大きな磐座があった。この岩が、あの有名な熊野三山の大本・・である。それは、案内所で神倉神社には行かれませんか?と言われるはずである。
神倉神社登り口
下から上を
上から下を
ちょうどスキーのジャンプ台の斜面のように下が見えない
この画像で感じがわかるかも知れない
這うような感じでないと降りることができない
ゴトビキ岩
この岩が熊野三山の大本
新宮市街が見渡せる
あまりにも急な石段を手をつきながら降りていた時、ふっと思い出した。
そういえば 熊野の火祭り という祭りがあって
白装束の松明を持った人たちが階段を駆け下りていた…
ただ、夜に大きな松明を持ってこのあまりにも急な石段を下れるものか?
と思いながら登口まで降りると、年配の方がベンチで休んでおられたので聞いてみると
確かにこの石段だとのこと
おそらく、無心になって駆け降りないと
少しでも怖いと思ってすると大怪我をするか
へたをすると死んでしまうだろうと思う
それぐらいの石段だった
ここは若い人たちにとっては、まさにパワースポットだろう
ただ、私はここでは気を感じていない
とにかく石段に驚いたのである
熊野三山の大本の磐座に気を感じないなどと
よほど気が抜けていたのかわからないが
この石段を歩けてよかったと思う
駅まで戻って、朝に案内してくれた方にお礼を述べておいた