今までに訪れた各地の峰々の連なりをあげてみる。
霧ヶ峰より富士山
ロッキー山脈 ティートンレンジ
中央 最高峰グランドティートン 4200m
右端 モラン山
野草を撮影していると、花が、昆虫や鳥と共生して進化してきたことを実感できる。昆虫などは、しばらく花のそばに佇んでいると、いやでも訪れてくるし、大抵はマクロレンズなどで撮影していると、そのまま撮影できることが多い。ただ、野鳥はそうはいかず、ある程度の望遠レンズを持っている時でないと難しいが、時折、近くで写せる時がある。この一年で出逢った野鳥を捜し集めてみた。
ほとんどの野鳥が、野草を見ながら、あるいは散歩がてら、偶然に撮ったものである
子供の頃お祭りでカゴの中で鈴を鳴らしたり、クジを引いてくる鳥がいたが、あれはヤマガラだったようだ
杉の樹皮のすき間に木の実を隠している
このヤマガラは目の前にきた
本来は海岸沿いに生息するのだろうが、以前から見かけるようになった。
きれいな鳥で、鳴き声も美しい
カンムリカイツブリ
トビ
伊吹とトビ
冬の渡り鳥
秋に林床の木の葉をめくっていることが多い
ジョウビタキ メス
ヤマガラと同じく人懐っこい野鳥
マガモ オス
マガモ メス
おそらくメスのマガモ
カワウ
少し大きめのキツツキ
日吉大社のほうがはるかに古かった。日吉大社はもとは日枝神社と呼んでいて、磐座(いわくら)のある八王子山は小比叡峰、比叡山は大比叡峰と呼ばれ、共に日枝(ひえ)からきている。
八王子山の頂上には牛尾宮と三宮があるが、その中央奥に金大巌(こがねのおおいわ)とよばれる磐座がある。この磐座が日吉大社の始まりで、ひいては比叡山の大本である。
坂本から見た八王子山
中央奥に金大巌がある
紅葉のピーク
ニノ鳥居
穴生積みの参道
参道沿いにも磐座がある
土の盛り上がりが祀ってある
穴生積み
大将軍神社のコジイ(ブナ科)
スダジイの表示があるが
太閤ザクラ
参道沿いのエノキ(ニレ科)
日吉三橋のひとつ二宮橋
猿岩
猿は日吉大社の守護
東本宮楼門
東本宮 祭神 大山咋神
ナギ(マキ科)
葉脈が縦に走り針葉樹である
ナギの実
このナギは雌株
タラヨウ(モチノキ科)
サカキ(モッコク科)
八王子山の磐座に登る階段
入り口に牛尾宮、二宮の遥拝宮がある
アラカシ(ブナ科)
神木のスギ
西本宮
天智天皇が大津京へ遷都された際奈良の三輪の大己貴神(大国主神)を勧請された
西本宮の東に宇佐宮と白山宮があり
宇佐宮の前にはタチバナ(ミカン科)が実をつけていた
大きさはキンカンくらい
西本宮楼門の猿
山王鳥居と呼ばれる仏教と神道の合一を表す鳥居
毎年四月に八王子山から神輿を担ぎおろすという山王祭がおこなわれるが、神輿は七つある
日吉七社は西本宮、東本宮、牛尾神社、三宮神社、樹神社、白山姫神社、宇佐神社の七つ
モミ(マツ科)
ムクノキ(ニレ科)
イズセンリョウ(サクラソウ科)
東本宮を琵琶湖側に出たところに山の辺の道とよばれる小道があり、西教寺まで続いている。琵琶湖の景観がよく、古墳があったりする。
三上山が見える
多くの林道が閉鎖されている中、若狭の小浜湾に面したエンゼルラインは頂上まで通行できた。ただし冬場と夜間は閉鎖される。
エンゼルラインより小浜湾
小浜より久須夜ケ岳
久須夜ケ岳頂上
若狭では三ヶ所しかない一等三角点
あと2ヶ所は百里ケ岳と野坂岳
頂上駐車場より常神半島と御神島
右奥は敦賀半島、最奥は越前海岸
御神島はイヌかネコのようにみえる
若狭富士
双耳峰で美しい
おそらく蘇洞門巡りの観光船
はるか西に大小の島が見え
地図で確認すると大島、小島とあり
とすれば大島の奥は丹後半島
カラスザンショウ(ミカン科)
ヒヨドリバナ(キク科)
ネジキ(ツツジ科)
クサギ(シソ科)
紅葉のピークは少し過ぎている
中腹にある大神岩(狼岩)
かなり大きな注連縄が巻いてある
頂上にこそ祠らしきものはなかったが、久須夜ケ岳という名からしていかにも祭神のような感じを受け、
やはり修験、信仰の山のように思える
ウリハダカエデ(カエデ科)
アカシデ(カバノキ科)
左コハウチワカエデ(カエデ科)
青 黄 赤
頂上にあった
マルバマンサク(マンサク科)
シロダモ(クスノキ科)
頂上駐車場より
敦賀半島 西方が岳
野坂岳
雲谷山
中央 三国山
右 赤坂山
大御影山
三重嶽
武奈ケ嶽
頂上駐車場より少し下がったところから西方向へと伸びる尾根にしっかりとした道があり、
蘇洞門まで続いている。
時間がなく、海岸まではいけないが、尾根からの下降地点まで歩いてみた。
見事なヤブツバキ(ツバキ科)の林
この木が多い
カナクギノキ(クスノキ科)
シロダモ(クスノキ科)
ツルマサキ(ニシキギ科)
この木も多くいろんな木に巻きついていた
カエデかと思いよく見ると久し振りにこの木に出逢った
メグスリノキ(カエデ科)
ずいぶん大きな木で何本か林立している
落ちた葉を集めてみた
オモト(キジカクシ科)
ミズナラ(ブナ科)
オオモミジか
ヤマモミジ(カエデ科)
蘇洞門への尾根を歩いていたのが2時頃
500メートルの標高差を下り海岸まで出て、さらに海抜ゼロメートルから登り返すのは無理で
尾根からの下降地点まで行って戻っているが、その後小浜の街まで車で降りてしばらくするとかなり
時雨れてきた
おかげで久しぶりに二重にかかる虹を見たが
虹が二重にかかる場合は外側の虹は内側の虹と色の配列が逆になる
若狭上中町にて
山の斜面にペンキを流したように見えるこの光景は知らない人は何なのか不思議に思う。これはアブラギリの黄葉である。若狭では江戸時代に殖産のため、アブラギリを植え、油をとった。そのアブラギリが海岸沿いや内陸に生えていて春には白い花を一面に咲かせる。
以前から若狭の所々でよく見かけたが、最近、山の斜面などにビッシリと密集して栽培したように生えているのをよく見かける。国道沿いの斜面にずっと生えていることもある。陽樹で成長が早いためか他の植物を駆逐していくようにも見えるが、かといってどこの山もそのようになっているわけではない。よくわからない樹木である。
それと、この斜面の黄葉のように、林の木々が、全体として緑から黄にきれいにグラデーションしていくのはなぜだろうかと思う。もちろん、水分、栄養、日射量、土壌などの変化によっているのはわかるが、あまりにも個々の木々が全体としての調和をとっているように見えてしまう。つまり、この斜面のアブラギリは全体として連携しているような。
今西錦司が個体群もしくは種社会の変化…という自然の捉え方をしておられたが、そんなことを思い出した。
アブラギリ(トウダイグサ科)
いかにもトウダイグサ科の実
この実から油をとる
ただし毒性があるので食用にはならない
茜さす紫野ゆき標野ゆき…
以前雪野山でとりあげた額田王の歌だが、茜や紫や、夕景の色を表すとともに、染料の茜や紫もかけあわせているのだろうと思う。
湖東平野というのはたしかに夕日の素晴らしいところに違いない。開けた平野部のところどころに低山があり、さらに西には琵琶湖があって空間が開けていて、その向こうに比叡、比良の山々が遠くに見える。私が育った大津や、現在住んでいる湖西地方は、朝日が見事なことはあっても、夕日が素晴らしいことは稀にしかない。すぐ西側に山々が迫っているからだ。瀬戸内や西側に海が開けた地域など、あるいは平野部の東の山際などでは、湖東平野のような夕日が見られるところがあるかもしれないが、おそらく日々このような夕日を見て育つとずいぶんと影響を受けるのではないかと思える。知らず知らず、遊びの帰りや、学校の帰りに夕景を見て育つことは恵まれたことのように思える。
西 比良山地
南西
南
湖東流紋岩…名前は以前から聞いていた。
が、これだけ湖東もしくは湖南の地域に分布しているとは思わなかった。いわば湖東の平野部から突き出している山はすべて湖東流紋岩でできている。
荒神山、箕作山、繖山、八幡山、長命寺山、沖島、雪野山、さらに三上山まで
そして今回意図して廻ったわけではないが、湖東三山の寺のある山の地質まで湖東流紋岩でできている。
湖南から湖東にかけて近江平野にある山々は、ちょうどリアス式海岸の半島のように周りが土砂に埋まって残ったのだと思っていた。それはその通りかもしれないが、流紋岩は火山岩である。今の近江では考えられない規模の火山があったということで、ちょうど今の近江湖東から湖南にあたる地域に、中生代に大きな規模の火山があり、その名残が今の湖東の山々になって残っている。しかもこの火山は阿蘇のようにあるいはそれ以上の規模のカルデラを形成していて、外輪山の名残が鈴鹿、比良、比叡、田上、金勝、の山々にあたるとのこと。たしかに地質図で見てみれば、これらの山々はすべてマグマが地下で冷えてできた花崗岩でできていて、周囲を取り囲むように分布している。
地質や地学の専門ではないが、今回偶然に廻った地域はすべて湖東流紋岩でできていた。実際に自分の目で見てみると面白いものだ。
湖東から湖南に分布する山々
地質図
湖東地域の橙色が湖東流紋岩
赤色が花崗岩
太郎坊宮の岩
雪野山
湖東三山の石垣
近江富士と呼ばれ、どこからでも見える山でありながら、登ったことがなかった。三上山という名前からして、三神あるいは御神、信仰の山であることはわかるし、小さい頃から俵藤太のムカデ退治の伝説をよく聞いていた。標高432m、おそらく近隣の方が運動習慣として日々登っておられるような方に何人も出会った。
ヒノキの植栽というか社寺林なのかほとんどの樹皮は赤く、檜皮をとった後があった
ヒノキ(ヒノキ科)の大木
中腹以上は湖東流紋岩の岩肌がむき出しになっているところが多い。
地衣類か、黄色の岩肌が続く
姥の懐との記載があったのでこの大きな岩の上部のくぼみのことかと思っていたが
巻き込んでいくと、脇道があった
この岩穴を指すようだ
裏登山道から登り、表登山道から降りている
中腹の尾根に出るまでは倒木もなく、流石に御上神社の山は大丈夫かとおもっていたが、
尾根に出た途端倒木だらけになり、やはりこの山も台風の被害を免れなかったようだ
頂上の社
実際の頂上はここかと思う
いわゆる磐座、岩倉と呼ばれるものかと思う
しめ縄が巻いてあった
三上山の頂上はゆるいツインピークになっている
もう一方の頂上
確かに三上山は見る方向によっては頂上がくぼんで見える
頂上より湖南方面
岡山、沖島、最奥は海津の東山か
下り、表登山道も中腹以上は湖東流紋岩がむき出しのところが多い
引っかかって止まっている大岩
割岩とあったので回ってみると人一人がなんとか通れる大岩があった
割岩を下から
下にこのような表示があった
以前、今は亡くなられた三上山の近くに住む友人が
「大きな岩が割れとってなぁ…」と言っていたのを思い出した
正月には初日の出を見に登るとも言っていたなぁ…
頂上で昼食を済ませ、北や東方面は見えないのかと思っていると二人の方が登ってこられたので、聞いてみるとていねいに教えてもらえた
吊り尾根の途中から細い道が分岐していて北に開けた場所が一ヶ所あった
長命寺山
鏡山
右脇に雪野山が見える
手前の稜線の奥に箕作山、太郎坊山
最奥は鈴鹿山地
ヒトツバ(ウラボシ科)
割岩のヒトツバ
樹種はわからないがサクラの大木
魚釣り岩
この辺りまで湖面があったとの伝説
五十年以上前、まだ学校へも行かぬころではなかったかと思うが、よほど印象的だったのか、大きな岩の割れ目をすり抜けたのを覚えている。車でずいぶんと上の方まで行けるようになっているが、せっかくなので下から歩いて登った。以前、エンゴサクの説明の折に、太郎坊はスミレでここ八日市(東近江市)の太郎坊宮、次郎坊はエンゴサクで鞍馬寺にあたると述べた。それだけ山岳修行で有名なところだったということだと思う。
真下から見上げるとかなり迫力がある。
平野部からこれだけの岩場がせり上がるのは珍しいかもしれない
太郎坊宮のある山は赤神山(いわゆる写真の岩山のことだろう)といい、太郎坊宮の正式名は阿賀神社という
太郎坊は山を守る天狗の名前
ただ山全体としては箕作山(みつくりやま)と呼んでいる
箕作山の登山道があるが、神域なので赤神山へ登ってはいけない
登り口
登るとかなり急に感じる
車で上まで上がるとこの辺りから入れる
少し上に龍神宮があって、そこから箕作山(みつくりやま)への登山道があった
さざれ石
本殿への道
お稲荷さんから愛宕さんから何でもある
アベマキ(ブナ科)
有名な夫婦岩
岩の割れ目の入り口
左が女岩
右が男岩
思ったより幅があった
夫婦岩を外から
夫婦岩だけでなく、今風の言い方をすると、この山全体がすごいパワースポットなのだろう。
階段や灯籠などにおびただしい数の寄進者や企業の名前があった
男岩に着いたヒトツバ(ウラボシ科)
本殿
本殿下のカナメモチ(バラ科)
モッコク(モッコク科)
本殿を下から
やはり天狗がいる
現代風のカラス天狗
野鳥好きの友人が言っていたが、天狗はもともとイヌワシだろう。天狗の鼻やカラス天狗のくちばしや、天狗が空を飛ぶことも納得できる。天狗岩や天狗の森、あるいは太郎坊山ももとはイヌワシのすみかにふさわしいところばかりだ。
ただ、そういった独特の険しい場所で修行を積み、霊力や超能力を身につけた行者がいたのも本当だろう。
やはり所々に天狗の持つヤツデ(ウコギ科)がある
上に挙げた天狗のうちわを見ていて気づいたが、うちわは9枚に分かれている。ヤツデは8つに分かれているものとばかり思っていたが、今見てみるとやはり9枚に分かれている。
八日市市街
鏡山
中央に三上山の山頂部が見える
雪野山
多分サンゴジュ(レンプクソウ科)
アキノキリンソウ (キク科)
ムクノキ(アサ科)
石塔あるいは阿育王(アショカオウ)塔
以前に司馬遼太郎、白洲正子の文面で読んでいたので、湖東の近くだろうと探して訪れた。石塔寺という寺ではあるが、こここそもともと渡来人の遺跡を平安中期に再発見して以来のことで、飛鳥時代のものだろうとは言われている。渡来人の作った仏舎利塔(釈迦の骨を埋めてある塔、三重塔、五重塔などと同じ)だろうとは思うが、なぜこんな丘の上にポツネンとあるのか、長い階段を登りつめて、塔の先端が徐々に見えてくるとある意味感動してしまうような塔だった。
目の前で見るとかなり迫力がある
百段以上はあるかもしれない
登りつめると徐々に見えてくる
総高7.5mとあるから一般の家の高さくらいある
千年以上、地震や台風で倒れなかったというのはただ積んでいるだけではないだろう
石塔の周囲、あるいは右の奥におびただしい石塔、石仏があり、驚くが、再発見されて以来徐々に奉納されて増えていったようだ
ただ、すべての塔や石仏が規則正しく並んでいるのは昭和に入って並べかえられたようだ
石塔の右奥に遊歩道が続いていて、石仏沿いに周回できるようになっている
以下は周回道沿いの自然植生
コジイ(ブナ科)
サカキ(モッコク科)
モッコク(モッコク科)
寺の植栽樹が広がったのかもしれない
シャシャンボ(ツツジ科)
橙がかった赤い実がたくさん落ちていたので見上げてみると
ナツハゼ(ツツジ科)
近江最古札とあるから、今は天台宗に属しているが比叡山延暦寺よりも古い。登りは石段の参道を歩いたが、下りのなだら坂という道の周囲は、石垣で組まれた平地がいたるところにあり、信長の焼き討ちに会うまでは一千坊と言われた寺院だったことがわかる。ただ、国史跡とあるから、今は、百済寺だけでなく湖東三山は全ていわゆる寺院ではない(僧侶は一人も見かけなかった)。
朝早く歩いたので意識しなかったが、人には出会っていなかったように思う。
庭園の上部に展望部があり、湖東平野と周辺の山々の広がりの向こうに比叡山が見える。春分や秋分の日の夕日は比叡山の上に沈み、さらにはその延長線上に百済(くだら)があるという。
このお寺は上に紹介した湖国の景観に加えて、石組みの参道や、周囲の木々の雰囲気などがすごくよかったものの、最も驚いたのが本堂の本尊の十一面観音(奥におられてみえない)の両脇におられる脇仏だった。
おそらく多くの文面で紹介されているだろうが、久々にいい仏様に出逢った
すべて本尊は数十年に一度の開帳時以外は見ることができない
庭園
この一段上に展望部がある
仁王門
金剛像
力士像
金堂前の石段と正面の石垣
金堂
金堂脇の千年菩提樹
ボダイジュの実
シナノキと同じ
金堂脇のミツマタ
ミツマタが多い
植栽もしているようだ
ヤブツバキ(ツバキ科)
西明寺はほとんど歩かず本堂へ行けるが、金剛輪寺と百済寺は参道を少し登ることになる
見事な庭園があり、書院を取り囲むように桃山時代、江戸初期、江戸後期の三期に作られている
以下は庭園に植栽
リンドウ(リンドウ科)
センリョウ(センリョウ科)
新分類体系でなぜマンリョウだけがサクラソウ科なのかよくわからない
ノコンギク(キク科)
ノコンギクだろうが園芸かかっているのかもしれない
フジバカマ(キク科)
ツワブキ(キク科)
最も下の総門 黒門
赤門
書院や庭園の入り口の白門
参道は二ヶ所カギ型に曲がっている
参道には石仏が並べられている
サンショウソウ(イラクサ科)
金堂前の二天門の力士像
金堂
三重塔
相輪
三重塔の少し手前に大木があり、葉をアップしてみたがわからなかった
後で、ああそうか!とわかることになる
この木はボダイジュ(菩提樹)だろう
日本に自生しているシナノキと同じ仲間だが、シューベルトのヨーロッパボダイジュ(シナノキ科)やインドの釈迦が悟りを開いた際のボダイジュ(クワ科)とは異なる
仏教がインドから中国へ入ってきた際、熱帯性のボダイジュは育たず、葉のよく似たこのボダイジュを植えたようだ
琵琶湖の周囲の中で湖東の多賀から八日市の間、川で言えば芹川から愛知川の間だけ地理感がない。ずいぶんと若い頃に湖東三山へ行った覚えはあるが、西明寺は覚えがあるが他は覚えていない。一度ゆっくり湖東を廻ることにした。
国宝の本堂と三重塔
あと二、三週間で見事な紅葉になるとは思うが
そのかわり静寂の中でゆっくりと境内を巡ることができる
この寺は苔の多い寺で、雨季であれば見事かと思う
三山の中でこの寺だけ行った覚えがあるのは秋に桜が咲いていたからである
今回も小ぶりではあるがたくさん咲いていた
不断の桜
センリョウ(センリョウ科)
園芸種
モチノキ(モチノキ科)かモッコク(モッコク科)かと思う大木
金堂前の二天門
手前右に夫婦杉がある
夫婦杉
右二本が夫婦杉で左に出ているのは子供の杉