貫川内湖

 

貫川(ぬけがわ)内湖 と読む

琵琶湖沿岸にある内湖の一つだが

この内湖は北湖と南湖に分かれており

その間を 境川(貫川)という川が流れて琵琶湖へ注いでいる

 

百聞は一見に如かず・・・

 

 

かつて琵琶湖岸には数多くの内湖があった

また今は上の写真のように湖周道路というものができて便利に

またほぼ全域の湖岸を巡ることが出来るようになったが

昔はほとんど船でしか行くことができず

そのことで環境が守られていたところも多かった

 

近江八幡、正確には安土(あづち)になるが

かつて大中湖(だいなかのこ)と呼ばれる琵琶湖岸で最も大きな内湖があったが

私が小学校の頃に干拓で埋められた

ちょうど秋田県八郎潟干拓でなくなった頃だと思う

八郎潟は日本で二番目の広さの湖だったのでよく覚えている

信長が築城した安土城は今は周りを田園地帯に囲まれているが

当時は琵琶湖につながるこの大きな内湖に囲まれていた

水運ができねば信長も安土には築城しなかっただろう

 

話が飛んでしまったが

内湖というのは湖の環境を保つうえで大切な役割を果たしている水域である

 


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以下は年寄りの愚痴である

 

ちなみに

湖西線を走っていった列車は

雷鳥(サンダーバード)である

以前は富山や新潟まで

そして現在は金沢まで

さらに来年の北陸新幹線開通とともに敦賀まで

の運転になるが

予定通り敦賀からの延伸が小浜、美山、京都のルートをとれば

雷鳥がなくなるだけでなく

湖西線第三セクターになってしまうらしい

 

何にも悪いことしてへんのに

 

福井、石川、富山の各県でも

遠くへ早く行けるより

普段の近場が便利な方が良いように思えるけれど

そうではないのかなぁ

 

雷鳥で十分だと思うが

やはりより早くが必要か

北陸や山陰の方が もう少し便利にという気持ちはわからぬでもないが

 

足るを知る・・

とか

腹八分目・・

とか

また年寄りの愚痴になってしまった・・

 

地方創生というが

江戸時代の各藩がそれぞれ独自の経済や文化を持っていた

ああいった活力は持てないものかと思う