よく言われるSpring Efemeral(春の妖精)の代表植物であるカタクリ
まだ寒さの残る初春に林床で開花し、樹木の葉がすっかり展開する初夏には地上部の葉や花の姿はすべて消えてしまうが故に、はかない春の妖精と名付けられた花たちである。
ある程度の標高のブナ林などの尾根筋にところどころ見かけることはあるが、これらのカタクリは里山で管理された樹林下の群集である。二十年ほどの周期で伐採されて利用されるクヌギやコナラの林床に生育している。
もう十数年ほど前からになるか、毎年桜の季節になると、驚くほどの人たちが来るようになって、桜並木の湖岸沿いの道路だけでなく、湖西へ来るまでの道や、湖北に至る道までも大渋滞を起こすようになった。
いいのか、悪いのか?よくわからない。
ただ、そこは地の利で、朝早くに訪れるとそれほど混むこともなく通り抜けできる。
もっとも、最近はそのことに気づいた人も多いようで、車の数が増えては来たが。
海津大崎を抜けるには短いトンネルが4つほどあり、昭和11年に道路が開通した際に、当時高島地方事務所に道路補修をする修路補修員として勤めていた宗戸清七が作業の合間にソメイヨシノを植樹したことに端を発する。
海津大崎は琵琶湖岸としては珍しく岩礁地帯が続くが、このような場所は、琵琶湖岸ではここと、近江八幡の伊崎不動くらいではないかと思う。
野坂山地から流れ出る百瀬川が平野部に出たところに野生の桜の見事な山がある。地元では軍艦山と呼んでいるようだが地形図には笹ヶ峰とある。おそらく桜にとっての生育条件が良い斜面なのだろうと思うが、よくも自生でこれだけ咲き誇れるものかと感心する。
百瀬川はここより数百メートル下流で伏流水となりいったん水の姿がなくなったのち下流で再び流れ出すが、琵琶湖に流れ込む河川に多い天井川となる。
また百瀬川は平野部に流れ出したところに典型的な扇状地を形成しており、授業で習った通り果樹園などに利用されているところが多い。伏流水が再び湧き出るところには、沢、大沼、深清水などの地名がついており、扇状地の特徴がよくわかる。
以下の画像は桜の開花と他の夏緑樹の芽吹きが揃った2018年の春のもの。
ほとんどのスミレは タチツボスミレ、コスミレ、シハイスミレ のように ・・・スミレの名前で呼ばれるが、スミレサイシンだけは逆になっている。
ウマノスズクサ科のウスバサイシンに葉が似ているために付けられた名前で、ウスバサイシンとは科も全く異なる。ウスバサイシンはどちらかというと徳川の家紋や葵祭で知られるフタバアオイの方によく似ているがアオイ属より葉が薄く、葉に辛味があることから薄葉細辛の名がつけられている。
スミレサイシンは日本海側の雪の多いところに分布し、日本海要素に属する植物にあたる。
ウスバサイシン(ウマノスズクサ科)
ウスバサイシンの花
壺のような形をしたものが花で、スミレの花とは全く異なる
スミレサイシン(スミレ科)の葉と花
毎年冬を越し、ようやく春の兆しが見えてきた頃に春の妖精(スプリングエフェメラル)と呼ばれる花たちに出逢える。ちょうど今は 早春賦 の歌詞にあるような時期にあたるが、そのような植物を探していると、あぁ咲いている という感じでスミレに出逢う。
今年ももうスミレは咲いているとは思わず、サンインシロカネソウ を探していたら、水辺に一輪早くも咲いていた。
たかがスミレであるが嬉しいものである。
水辺というのは雪が融けるだけでなく、周囲の気温も一定に保つ働きがあるのかもしれない。
スミレサイシン(スミレ科)
以下の花も流れのある水辺に咲いていたものである
フキ(キク科)
いよいよこれから春本番に向かって木々が芽吹き、花々が咲き誇る季節を迎える。
京都のすぐ近くに生まれ育ったが、行きたいとは思いながら、いまだに行っていないところが多く、いまだに祇園祭も見たことがない。
ただ、伏見稲荷などは小さい頃毎年のようにお参りに行っていたし、嵐山などは、物心ついてから、なんや、ここを嵐山というのか・・というような感じで、一般の人が観光に来られた時の感覚とは異なる場合が多かったように思う。
いつかは行きたいと思いながら、龍安寺も訪れたことがなかった。
今回も行こうとして行ったのではなく、病院の待ち時間が長すぎて、思いついただけである。
有名な石庭であるが、初めてみるとどんな感覚を受けるのかと思っていたが・・
特別な感覚はなく、普通の感じだった。思っていたよりも石庭は狭かった。
ただ、幸か不幸か、今は訪れる人が比較的少なく、寺本来の落ち着いた境内の 気 の中で石庭を見、庭を廻ることができたように思う。
龍安寺が何宗の寺か意識していなかったが、やはり臨済宗の禅寺だそうで、なるほどこの庭を見ていると納得する。
十五の石があるが、どこから見ても全ての石を見渡すことはできないそうで、試して見たが、納得できた。いろいろな捉え方があるようだが、やはり深い意味での物の見方、捉え方を指し示しているように思える。人間の五感でなんでもすべて見える、捉えられると思い込むのは愚かなことだろう。
石庭の石は左から 五 二 三 二 三 の 十五 からなり 左の五と二(七)、中央の三と二(五)、右の三 の順に並んでいる。
七、五、三 は子供のお参りで知られるように 陰陽説の陽数にあたり、七、五、三を足した十五は十五夜の満月が示すように完全数になり、お宮参りも神無月の十五日にゆく。
三歳と七歳で女子が 五歳で男子がお参りに行くのは 雛祭りの 三人冠者、五人囃子と同じで、三月三日が女子の雛祭り、五月五日が男子の端午の節句であるのも同じである。
石庭を見た後、庭園を見て廻ったが、思ったより広く、裏山も含めるとかなりの敷地の禅寺だった。
やはり、人が少なく落ち着いて境内を廻れるのはありがたかった。
なお、庭園のある方丈の畳の間には仕切りがしてあって入れないが、方丈の間に入って石庭を見ると、一箇所だけ全ての石が見渡せる場所があるそうである。
この前セツブンソウを見に行ったおり、一株だけ明らかにつぼみの黄色い個体があった。
葉の着く様子はセツブンソウと似ているが、セツブンソウのようには切れ込んでいない。近くに行く機会があったのでもう一度行ってみると・・・
キバナセツブンソウ(キンポウゲ科)
ちょうどフクジュソウのミニ版のような花だが葉の形態が異なる。ミスミソウやスハマソウの花と似ているがこれも葉が全く異なる。
キバナセツブンソウだった。
ヨーロッパ原産のものでヨウシュセツブンソウともいう。
ということは明らかに植栽の個体である。
ここは伊吹山麓の寺の伽藍の跡地で、元から生育してはいたが、住職のかたがタネを巻いて増やしておられる。
アメリカには黄色のカタクリがあるのは知っていたが、こんなものがあるとは知らなかった。
また、以前からセツブンソウを虫媒している昆虫は何なのかと疑問に思っていたが、偶然に犯人の一人を見つけた。
左上をアップすると・・・
ジョウカイボンなどの甲虫の仲間に見えるが、足に花粉をつけており、花粉を食べているように見える。他にも虫媒している昆虫はいるのだろうが、やはりこのような気温の低い時期でも活動し出している。
偶然にも今日は 啓蟄 だった。
残念ながら気温が低くて葉が展開していなかった。