龍安寺

 

 

京都のすぐ近くに生まれ育ったが、行きたいとは思いながら、いまだに行っていないところが多く、いまだに祇園祭も見たことがない。

ただ、伏見稲荷などは小さい頃毎年のようにお参りに行っていたし、嵐山などは、物心ついてから、なんや、ここを嵐山というのか・・というような感じで、一般の人が観光に来られた時の感覚とは異なる場合が多かったように思う。

いつかは行きたいと思いながら、龍安寺も訪れたことがなかった。

今回も行こうとして行ったのではなく、病院の待ち時間が長すぎて、思いついただけである。

 

f:id:Jiroviolet:20210307110152j:plain

 

有名な石庭であるが、初めてみるとどんな感覚を受けるのかと思っていたが・・

特別な感覚はなく、普通の感じだった。思っていたよりも石庭は狭かった。

ただ、幸か不幸か、今は訪れる人が比較的少なく、寺本来の落ち着いた境内の 気 の中で石庭を見、庭を廻ることができたように思う。

 

龍安寺が何宗の寺か意識していなかったが、やはり臨済宗の禅寺だそうで、なるほどこの庭を見ていると納得する。

十五の石があるが、どこから見ても全ての石を見渡すことはできないそうで、試して見たが、納得できた。いろいろな捉え方があるようだが、やはり深い意味での物の見方、捉え方を指し示しているように思える。人間の五感でなんでもすべて見える、捉えられると思い込むのは愚かなことだろう。

石庭の石は左から 五 二 三 二 三 の 十五 からなり 左の五と二(七)、中央の三と二(五)、右の三 の順に並んでいる。

七、五、三 は子供のお参りで知られるように 陰陽説の陽数にあたり、七、五、三を足した十五は十五夜の満月が示すように完全数になり、お宮参りも神無月の十五日にゆく。

三歳と七歳で女子が 五歳で男子がお参りに行くのは 雛祭りの 三人冠者、五人囃子と同じで、三月三日が女子の雛祭り、五月五日が男子の端午の節句であるのも同じである。

石庭を見た後、庭園を見て廻ったが、思ったより広く、裏山も含めるとかなりの敷地の禅寺だった。

やはり、人が少なく落ち着いて境内を廻れるのはありがたかった。

 


龍安寺

 

なお、庭園のある方丈の畳の間には仕切りがしてあって入れないが、方丈の間に入って石庭を見ると、一箇所だけ全ての石が見渡せる場所があるそうである。