アネモネの野生種・・といえば感じがわかるかもしれないが、カタクリやフクジュソウなどのようには一般に知られていない野草かもしれない。ここのキクザキイチゲは川沿いの竹林の中に生えていて、見にくる人はまずいないように思う。春の妖精(スプリングエフェメラル)と呼ばれる花々の中でも早い時期に咲き出し、その開花期間も短い。
毎年冬を越し、ようやく春の兆しが見えてきた頃に春の妖精(スプリングエフェメラル)と呼ばれる花たちに出逢える。ちょうど今は 早春賦 の歌詞にあるような時期にあたるが、そのような植物を探していると、あぁ咲いている という感じでスミレに出逢う。
今年ももうスミレは咲いているとは思わず、サンインシロカネソウ を探していたら、水辺に一輪早くも咲いていた。
たかがスミレであるが嬉しいものである。
水辺というのは雪が融けるだけでなく、周囲の気温も一定に保つ働きがあるのかもしれない。
スミレサイシン(スミレ科)
以下の花も流れのある水辺に咲いていたものである
フキ(キク科)
いよいよこれから春本番に向かって木々が芽吹き、花々が咲き誇る季節を迎える。
京都のすぐ近くに生まれ育ったが、行きたいとは思いながら、いまだに行っていないところが多く、いまだに祇園祭も見たことがない。
ただ、伏見稲荷などは小さい頃毎年のようにお参りに行っていたし、嵐山などは、物心ついてから、なんや、ここを嵐山というのか・・というような感じで、一般の人が観光に来られた時の感覚とは異なる場合が多かったように思う。
いつかは行きたいと思いながら、龍安寺も訪れたことがなかった。
今回も行こうとして行ったのではなく、病院の待ち時間が長すぎて、思いついただけである。
有名な石庭であるが、初めてみるとどんな感覚を受けるのかと思っていたが・・
特別な感覚はなく、普通の感じだった。思っていたよりも石庭は狭かった。
ただ、幸か不幸か、今は訪れる人が比較的少なく、寺本来の落ち着いた境内の 気 の中で石庭を見、庭を廻ることができたように思う。
龍安寺が何宗の寺か意識していなかったが、やはり臨済宗の禅寺だそうで、なるほどこの庭を見ていると納得する。
十五の石があるが、どこから見ても全ての石を見渡すことはできないそうで、試して見たが、納得できた。いろいろな捉え方があるようだが、やはり深い意味での物の見方、捉え方を指し示しているように思える。人間の五感でなんでもすべて見える、捉えられると思い込むのは愚かなことだろう。
石庭の石は左から 五 二 三 二 三 の 十五 からなり 左の五と二(七)、中央の三と二(五)、右の三 の順に並んでいる。
七、五、三 は子供のお参りで知られるように 陰陽説の陽数にあたり、七、五、三を足した十五は十五夜の満月が示すように完全数になり、お宮参りも神無月の十五日にゆく。
三歳と七歳で女子が 五歳で男子がお参りに行くのは 雛祭りの 三人冠者、五人囃子と同じで、三月三日が女子の雛祭り、五月五日が男子の端午の節句であるのも同じである。
石庭を見た後、庭園を見て廻ったが、思ったより広く、裏山も含めるとかなりの敷地の禅寺だった。
やはり、人が少なく落ち着いて境内を廻れるのはありがたかった。
なお、庭園のある方丈の畳の間には仕切りがしてあって入れないが、方丈の間に入って石庭を見ると、一箇所だけ全ての石が見渡せる場所があるそうである。
この前セツブンソウを見に行ったおり、一株だけ明らかにつぼみの黄色い個体があった。
葉の着く様子はセツブンソウと似ているが、セツブンソウのようには切れ込んでいない。近くに行く機会があったのでもう一度行ってみると・・・
キバナセツブンソウ(キンポウゲ科)
ちょうどフクジュソウのミニ版のような花だが葉の形態が異なる。ミスミソウやスハマソウの花と似ているがこれも葉が全く異なる。
キバナセツブンソウだった。
ヨーロッパ原産のものでヨウシュセツブンソウともいう。
ということは明らかに植栽の個体である。
ここは伊吹山麓の寺の伽藍の跡地で、元から生育してはいたが、住職のかたがタネを巻いて増やしておられる。
アメリカには黄色のカタクリがあるのは知っていたが、こんなものがあるとは知らなかった。
また、以前からセツブンソウを虫媒している昆虫は何なのかと疑問に思っていたが、偶然に犯人の一人を見つけた。
左上をアップすると・・・
ジョウカイボンなどの甲虫の仲間に見えるが、足に花粉をつけており、花粉を食べているように見える。他にも虫媒している昆虫はいるのだろうが、やはりこのような気温の低い時期でも活動し出している。
偶然にも今日は 啓蟄 だった。
残念ながら気温が低くて葉が展開していなかった。
湖西は平野部の幅が狭く、山が迫っていることがあって、夕景がきれいなことは稀で、かわりに琵琶湖越しの伊吹、鈴鹿山地から昇る朝日は見事なことが多い。
逆に湖北や湖東からは琵琶湖越しの夕景がきれいで、感動する様な情景に出会うことも多い。
ただ、朝日の昇る早朝にいつも湖岸に行っているかというと、なかなかできないことで、反対に夕日であれば、今日は夕景がきれいかと予想して見に行く機会は多い様に思う。
それでも一つだけ利点がある。
夕映え・・である。
日が沈む夕方に琵琶湖岸から逆方向の東を見ると、山々や湖面が紫や桃色に染まって見えることが多く、時には雲の広がりなどによってすごくきれいなことがある。
これは夕日の沈む西方向の夕焼け
鈴鹿山地は少し霞むのと、画質が少し落ちているので判別しにくいかもしれないが
北の方から横山岳、金糞岳、伊吹山、竹生島、霊仙山、御池岳と続き
最後、夕日の左の黒い山並みが比良山地
なお、今気付いたが・・・
PC やタブレットの画面で見る場合、画質を歯車マークをクリックして手動でHD画質にすると高画質になる
もうずいぶんと前から春先の菜の花の鑑賞地、撮影地として知られた所だが、極寒のこの時期からほぼ満開を迎えていた。ちょうど琵琶湖越しに雪化粧した比良山との取り合わせがきれいで、毎年多くの人が訪れる。
菜の花はもともとアブラナ(油菜)として採油のために栽培されてきたが、近年では食用や観賞用が増えてきている
以前紹介したセイヨウアブラナやセイヨウカラシナが野生化して広がっているがせいぜい三月から四月の開花になる
(検索欄で セイヨウアブラナ と検索すると記事が出てくる)
それにしてもこの時期にほぼ満開を迎えるというのはどうしたことかと不思議に思う
自生のフクジュソウやセツブンソウに対してこれら菜の花は地中海原産とある
そういえば同じ様な時期に咲き出すニホンズイセンも地中海原産で中国を経て日本に伝わったと聞く
地中海性気候は冬に幾分の降雨があり比較的温暖なことから、原生地の開花期がこの時期なのだろうと思うが、それにしても年が明ける前から咲き出しているのには驚く
カンザキハナナ 寒咲花菜 だが 極寒咲花菜 が適正かもしれない
湖岸より西岸を望む
左が比叡山 右が比良山
比良山 左側 中央 蓬莱山 (1174m)
比良山 右側 左奥の雪をかぶるのが最高峰 武奈ヶ岳(1214m)
今年はまともに外へ出かけることができず、特に今は出られない。
幸い、家の周囲は林や田園が広がっているから散策はできるのでありがたいが…。
今年は比較的暖かい日が多いが、どの植物も着実に冬支度を整えている。
まもなく一面の銀世界におおわれる季節になる。
松原に行こうとしたのではなく、通りかかっただけだが、あまりにもウルシの紅葉がきれいなのでゆっくりと歩いてまわった。もはや今年の紅葉は終わりだと思っていたところ、思いもかけず、きれいな光のもとで木々が輝いていた。紅葉する木々の中でもウルシの仲間は真っ先に紅葉することが多い。それがこの時期に紅葉の盛りを迎えているのはなぜだろうか?広い松原ではあるが、市街地と海岸の間に海岸に平行に一本の細い道路が通っている。これらの紅葉している木々はその道路より市街地側のものである。海岸沿いの松原はやはりほぼマツ林でほとんどがクロマツだろう。市街地に近いところにマツに混ざって、アベマキやコナラやヤマハゼなどがたくさん生えているところがあり、おそらく遷移が進んで土壌なども砂地から幾分肥沃なものになり、陽樹が増えてきているのかと思う。ただそれにしてもこの時期にウルシが紅葉しているのはわからない。海岸近くの影響だろうか。
歩いていると何か調査をしている方がおられたので聞いてみると、以前から松が枯れてきているのでモニタリングをしているとのこと。松林の維持のために人為的に手を加えているのかと思ったがそうでもないらしい。
よく通りかかったり、砂浜で海を眺めたりすることがあったのであまり気に留めなかったが、日本三大松原はどこなのかと調べてみたら、気比の松原は入っていた。静岡の美保の松原、佐賀の虹の松原、そして敦賀の気比の松原だった。古く万葉の頃から歌にも歌われた歴史ある松原のようだ。
なお、ウルシは触るとかぶれることがあり、特にツタウルシは成分が強いので触らないように注意してください。また、動画中に野鳥の鳴き声がするが、BGMの中の鳴き声で、松林のものではない。