比叡山 ③大宮川 植物

 

一気に 比叡山 ①  ②  ③ をアップしている

 

以前からよく歩いていた大宮川沿いの林道だが

大宮川の名前の由来について

 

日吉大社には 大物主神(いわゆる大国主神)を祀る西本宮と

大山咋神を祀る東本宮があるが

流石の比叡の地主神である大山咋神

出雲の大国主神に対しては

西本宮の方を 大宮 と呼ばざるをえない 

その西本宮のそばを流れているので 大宮川 という

 

誰も驚かないと思うが

以前から 大宮川 大宮川・・

といっていたものにとっては

あぁ〜 そうなのかぁ・・

と感動する

このようなことで感動できるので得である

 

なお 東本宮におられる

あるいは 奥宮におられる

大山咋神の妻の

玉依姫 だが

山を越えた京都の鴨川沿いにある

下鴨神社の 祭神に当たる

 

上賀茂神社の 賀茂別雷命 の母にあたるので

比叡山の 大山咋神は 父にあたることになる

このようなことでも感心できる

得である

 

クリンソウサクラソウ科)

花が何層にも輪生するので九輪草の名があるが

生育状態がよくない

 

コバンノキ(コミカンソウ科)

 

ジャケツイバラ(マメ科

 

アワブキ(アワブキ科)

 

ヤマハンノキ(カバノキ科)

 

ムクノキ(アサ科)

 

モチツツジツツジ科)

 

大宮川

ケヤキ(ニレ科)

 

ヤマツツジツツジ科)












 

比叡山 ②八王子山 植物

 

 

日吉大社の奥宮への登山道を時間をかけて登り

そこから奥にほぼ水平な道(行者道)へ

さらに大宮谷に降りて林道を戻ってきている

 

比叡山には種々の植物が分布しているが

古くからの 神域 境内のため

照葉樹も多く

ちょうど落葉、芽吹きの時期にあたり

色彩が豊かだった

 

コジイ(ブナ科)

いわゆるシイの木

 

白っぽく見えるのが新芽と花

遠目には黄金色に光って見える

この時期は遠目にも一目瞭然

 

 

イチイガシ(ブナ科)

イチイガシはほぼ木肌でわかるが

ちょうど今は落葉の時期なので樹下を見れば確実にわかる

 

クスノキクスノキ科

少し丸くなっているのがクスノキの葉

樟脳の匂いでもわかる




サカキ(モッコク科)

神社の奥宮であるからというわけでもないと思うが

サカキが多かった

 

シキミ(マツブサ科)

香りを嗅げばすぐにわかる

一応毒草である

 

ヒノキ(ヒノキ科)

全山にヒノキが多い

この木肌を見ると樹皮を 檜皮葺き に用いるために剥いだ後だろう

そう言えば根本中堂を改修中だったように思う

 

アカシデ(カバノキ科)

 

イロハモミジ(ムクロジ科)

 

ヤブニッケイクスノキ科

 

モミ(マツ科)

比叡山には モミ も多い

 

 

イタヤカエデ(ムクロジ科)

 

コアジサイアジサイ科)

間も無く開花する

 

ヒイラギ(モクセイ科)

 

アセビツツジ科)

馬酔木とも書く毒草

 

カラスザンショウ(ミカン科)

 

照葉樹の林冠

それぞれの木々がお互いを超えて侵略していっていないのがわかる

生物の社会に競争はあるが 適者生存 とか 弱肉強食 などというものはない

人間の捉え方ひとつである

 

なお イチイガシ だが

県内でこれほどの大木 あるいは群生は見たことがなかった

その意味でも思い切って訪ねてみた甲斐があった

ありがたいことに

幾分の不調はあったものの なんとか体調は大丈夫だった

 

 

比叡山 ①金大巌(こがねのおおいわ)

比叡山としているが

日枝山(ひえのやま)

もともとの比叡の山をとりあげている

 

以前から行きたいとは思っていたが

標高差200mくらいの急勾配を登ることになる

平地はある程度歩けるが

坂で負荷がかかると体調を崩してしまう

ただ 奈良への旅である程度の標高差なら

時間をかければなんとかなる感覚だったので

思い切って出掛けてみた

 

以前にもどこかで述べているが

比叡山はもともと日枝山(ひえのやま)で

地主神である 大山咋神(おおやまくいのかみ) を古くから

日吉大社で祀ってきたが

天智天皇大津京遷都の際に奈良の三輪神社より 大物主神 を勧請して

ともに祀られるようになった

その後最澄延暦寺を開いて比叡山となり

大山咋神 大物主神 は地主神として

山王と呼ばれるようになった

 

つまり現在では八王子山と呼ばれる

日吉大社の背後の山にある磐座が

比叡山の始まりということになり

この磐座を 金大巌(こがねのおおいわ) という

 

 

直下より望む

上に牛尾宮と三宮宮の屋根が少し見える

幾人か登る人はいたがことごとく先に行かれた

木々を見ながら普通の二倍三倍、あるいはそれ以上の時間をかけて登っている

 

 

左が 三宮宮 鴨玉依姫 荒魂 を祀る 

   山麓に祀られたものが 東本宮樹下宮で 和魂 を祀る

右が 牛尾宮 大山咋神 荒魂 を祀る

   山麓に祀られたものが 東本宮本殿で 和魂 を祀る

 

三宮宮 鴨玉依姫 荒魂 を祀る

 

牛尾宮 大山咋神 荒魂 を祀る

中央奥に 金大巌

 

金大巌

この巌が日吉神社

ひいては比叡山の始まり

 

 

途中から見える北東方向

琵琶湖大橋 と 沖島

 

登山口 左右に 牛尾宮 三宮宮 遥拝所がある

毎年四月に行われる山王祭では 奥宮 牛尾宮 三宮宮 から

夜に松明だけを頼りに ここの急坂を神輿で東本宮まで遷られる

登山道は広いとはいえ 命懸けである

 

奥宮のすぐ下にある 大岩

これが磐座と言われてもよいくらい大きい

 

モミ(マツ科)

 

対岸の 三上山 三上山と表すが 御神山である

近江富士 として親しまれている

 

奥宮からの眺望

見えているのは琵琶湖の南湖の一部

 

坂本の門前町

観光船ミシガン

八王子山(牛尾山)の南面

シイの花が目立つ

 

なお今回は訪れてはいるものの日吉大社はとりあげない

以下は以前のブログで訪れた際のもの

 

jiroviolet.hatenablog.com

 

 

jiroviolet.hatenablog.com

箱館山新緑

 

連休中はどこへも行かないようにしている

ただ

足早に過ぎ去ってゆく春に感じたが

木々の新緑については

山麓ではすでに終わっていても 箱館山へ上がればまだ残っているだろうと

朝早くから行ってみた

数日前ならさらに多彩だったかもしれないが

ほぼ新緑の盛りだった

 

ほぼ垂直に切り立つ天狗岩の新緑はみごとで

また 平池(だいらいけ)では ズミが満開を迎えていた

 

箱館山には林道が周回しており

登り切った所には大きなキャンプ、宿泊施設がある

そこの来訪者を避けて朝早くから上がってみたのだが

なんのことはない

昼近くになっても誰にも会うことはなかった

 

近年 平池のカキツバタは有名になって

あとひと月もしないうちに多くの人が訪れるようになるが

この連休の最中に

このように見事な天狗岩の新緑と

ズミの満開になった平池の静寂を独り占めできるという贅沢さ

 

宿泊施設から五分 十分 で来れるのだが・・・

 

 

 

 


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奥が伊吹山(1377m) 右の島が 竹生島

左の半島が 手前から 海津大崎 奥が 葛尾(つづらお)崎

 

予想通り平池のズミは満開を迎えていたが

池の中之島では今年はすでに レンゲツツジが咲き出していた

卯月 湖岸春景

 

昨秋から続いていた渇水もほとんど解消され

見慣れた湖岸の景色の中で桜を見ることができた

 

コロナ禍以来 多くの人が湖岸に訪れ憩うようになった

何かキャンプ場、あるいはグランピング場とかいう施設がやたらと増えてしまった

もう登山はできないが 全国の山小屋の設備も昔とは見違えるようになっているようだ

 

よくわからないが富士山がとんでもないことになっていると聞く

私は海外の山々も含めて数多くの山へ登ったが

富士山は登ったことがない

富士山は見る山だと思っている

 

人口の減少が近年よく問題になっているが 滋賀県は人口が減っていない

京阪神からの人が多いかもしれないが

多くの人が一戸建て、集合住宅も含めて

琵琶湖の見えるところを希望されるように思う

 

近江に生まれ、近江に育った私は

琵琶湖の見える所に・・・

という感覚がない

わからないが

おそらく琵琶湖は自分の意識の中にあるのだろうと思う

 

 

 


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琵琶湖にある島の映像が出てくるが

ブイであるとか 気象観測装置であるとかがあって紛らわしいが

背後にある山影をもとに判断するとわかりやすいかと思う

卯月 山麓春景

 

ずいぶんと寒い日々が続いたかと思うと

急に初夏の陽気になり

一気に春が来たものの

桜の開花も 木々の芽吹きも 

ずいぶんと迷っていただろう

 

初夏がすぐにくるだろうとは思っていたが

やはり各地で四月に三十度を越すことになってしまった

 

四月を振り返って・・・

 

 

種々の桜が一斉に咲いてしまっているように見える

 

少し霞がかかっているが

白が タムシバクスノキ科) 黄緑が イヌブナ(ブナ科)

 

ヤブツバキ(ツバキ科)

今年はヤブツバキがなかなか咲かず

やっと四月に一斉に咲き出している

 

 

 

ヤマザクラバラ科

 

イヌブナ(ブナ科)

 

コバノミツバツツジツツジ科)

 

オオカメノキ(ガマズミ科)

 

ウリハダカエデ(ムクロジ科)

 

ウワミズザクラ(バラ科

これでも桜の仲間である

 

 

オオイワカガミ(イワウメ科)

 

 

シハイスミレ(スミレ科)

 

ヤマザクラバラ科

 

コバノミツバツツジツツジ科)

 

ヤマザクラ(ブナ科)

 

ノダフジマメ科

四月にフジが咲き出すのが普通になってゆくのかもしれない

 

葛城山麓

 

葛城山麓にあるいくつかの神社を訪ねてみたが

ほとんど中腹と言ってよいくらいの所にある

 

南にはおそらく大峰山

東には高取山などとその手前の丘陵

その少し北には畝傍山と大和盆地が見えていた

 

古代になぜこのような葛城山の中腹とも言える傾斜地に出雲からの人々が住み着いたのか

周りの景色を見渡していたがよくわからなかった

 

ただ 役行者 も葛木系賀茂氏だといい

父が出雲系とある

 

大阪の人にとっては葛木山麓というのは行き慣れた場所かもしれないが

ここは私の中の奈良の概念からは外れていた

東大寺があり薬師寺があり法隆寺があり

明日香があり 吉野があり 宇陀があり さらに大峰山系がある

それらが奈良だったが 今回 櫻井から天理へと続く山の辺と

葛木山麓が加わった

考えてみれば空海の開いた高野山もまったくの飛び地ではなく

奈良からこれら葛木山麓の延長にあるように思える

 

南方向 大峰山

 

おそらく 弥山

 

東方向

北東方向

畝傍山とその左に耳成山が見える

 

 

高鴨神社

上賀茂 下鴨神社 の大元はここ葛城山麓にある

それほど大きな神社でもないが 池があり落ち着いた雰囲気の森である

 

アラカシ(ブナ科)

 

スギ(ヒノキ科)

 

 

 

一言主神社

 

 

 

イチイガシ(ブナ科)

 

拝殿

 

黄緑色のケヤキ(ニレ科)の奥に本殿がある

 

イチョウイチョウ科)

 

ムクロジムクロジ科)

 

亀石

 

 

 

鴨都波神社

拝殿

 

本殿

 

イチイガシ(ブナ科)

 

ケヤキ(ニレ科)

 

 

いずれの神社もけっして大きな神社でも荘厳な神社でもないが

古からの神社らしい古木とともに

落ち着いた空気感が漂う場所である

 

鴨族 という部族だが

古代 色々な時期に 場所で活躍したらしい

京都を造ったのは 鴨族と 秦氏 だという

出雲王朝の末裔とされる 富家 は

鳶 が象徴とされる

そういえば奈良の南から和歌山にかけては 熊野 である

 

星野道夫さんの写真集にアラスカ海岸ぞいの原住民の廃墟を撮ったものがあり

トーテムポールが朽ちていて

その先に彫られているカラスやフクロウがその部族の象徴とされていたという

ちょうどアメリカ原住民のシャイアン族やチェロキー族、スー族などを思い浮かべれば

そのような感じだったのではないかとも思える

アメリカ原住民と異なるのは

日本の場合はそれら部族が徐々に統一されていったということだろう

 

それにしてもこの国の場合は

全国の神社にその地域の 歴史 と 植生などの自然 の両方が残されているのがすばらしい

 

 

これで今回の奈良シリーズは終わるが

自然と歴史と文化と

いい旅ができたように思う

奈良 ③ みたらい渓谷 植物

 

山中になってくるので 照葉樹の数は減り

夏緑樹が増えてくるため

紅葉の名所になっているのだろう

千メートルに満たない高度だが カヤやモミの針葉樹も見られる

 

 

フデリンドウ(リンドウ科)

春に咲くリンドウ

5センチくらいの高さか よく見ていないと見落としてしまう

 

ハナイカダハナイカダ科) →  ミズキ(ミズキ科)に訂正

 

フサザクラ(フサザクラ科)

渓流沿いに多い植物

桜ではない

 

 

トチノキムクロジ科)

 

タチツボスミレ(スミレ科)

 

シハイスミレ(スミレ科)

 

イヌブナ(ブナ科)

 

 

ヤマルリソウ(ムラサキ科

 

ハシリドコロ(ナス科)

右下に茶色い花が見えている

 

イタヤカエデ(ムクロジ科)

 

ヤマザクラバラ科

 

ヤマハコベ(ナデシコ科)

 

ヒトリシズカ(センリョウ科)

久々に静御前に出逢えた

やはり美人である

 

クロモジ(クスノキ科

 

ナナカマド(バラ科

 

ウリカエデ(ムクロジ科)

 

ヤマグルマ(ヤマグルマ科)

 

コバノミツバツツジツツジ科)

トサノミツバツツジ などの可能性もある

 

奈良 ③ みたらい渓谷 風景

 

 

今でこそ道がついているが

とんでもない山奥である

すぐ近くに 洞川(どろがわ)温泉という

大峰山修験道の行者が宿泊所としたところがあるが

昔はそこへゆくのも大変だったろう

 

奈良は山中の川の水がきれいで深みがある

周辺の川を含めて 

たしかに気持ちのよい渓谷である

 

大峰山に入る前の御手洗の意味かと思ったが

南朝の帝が禊ぎをおこなったとの伝説からついた名という

 

 

 


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奈良 ② 山の辺の道 植物

木々が芽吹き 新葉が展開し 花々が咲き

やはり新緑のこの時期はすがすがしい

 

花々を 新緑を見ながら

また 古墳や あるいは神社を詣でながら歩くので

私には障害物競争をやっているようなもので

なかなか先へ進めない

 

以下 樹木、道端の栽培のものも含めてかなり多くなった・・・

 

 

 

イチイガシ(ブナ科)

かつて奈良盆地には広大な湖のような湿地帯が広がっていて

それをとりまくようにイチイガシ林が極相として広がっていたといわれる

 

アラカシ(ブナ科)

カシの代表だが この木が多かった

 

モウソウチク(イネ科)

竹の秋 五月のイメージだがもう黄葉していた

 

 

 

クスノキクスノキ科

 

コナラ(ブナ科)

 

モチツツジツツジ科)

萼片部分が粘ることから名前がある

 

ヤマブキ(バラ科

八重のヤマブキで 野生もあるが これは植栽のもの

 

モンツキウマゴヤシ(マメ科

 

ヤワゲフウロフウロソウ科

 

 

オトメフウロフウロソウ科

 

ヤワゲフウロのそばに蕾も含めて オオイヌノフグリ の白花がいくつかあるが

 

コゴメイヌノフグリ(オオバコ科)と呼ばれるものがあるそうだが

これはオオイヌノフグリが何らかの理由で色褪せた個体かと思える

花弁に薄い青い筋が残っている

遺伝的なものか、環境的なものかわからないが

 

 

マメグンバイナズナアブラナ科

 

ショカッサイ(アブラナ科

 

 

ウラシマソウサトイモ科)

浦島太郎の持つ釣り竿と糸のイメージから

 

スズメノエンドウマメ科

ちょうど左にカラスノエンドウがある

 

ヤマルリソウ(ムラサキ科

 

ハルジオン(キク科)

 

アツミゲシ(ケシ科)

モルヒネを含み規制されている植物にあたるため栽培はできず

すぐに保健所に連絡しなければいけない植物

 

ナガミヒナゲシ(ケシ科)

こちらにも幾らかの毒性はあるが各地でよく見られる

 

クロマツ(マツ科)

植栽されていた松のマツボックリの赤ちゃん

 

ホトケノザ(シソ科)

 

 

カリン(バラ科

 

キツネアザミ(キク科)

 

スズメノテッポウ(イネ科)

 

アリアケスミレ(スミレ科)

 

 

カンサイタンポポ(キク科)

 

 

マツバウンラン(オオバコ科)

 

レンゲ(マメ科

 

 

リンゴ(バラ科

品種名まではわからないが多分リンゴだろう

 

ナシ(バラ科

 

 

カマツカバラ科

 

ムラサキツユクサツユクサ科)

 

 

オオカワジシャ(オオバコ科)

花を見ればオオイヌノフグリの仲間だとわかる

 

 

ジシバリ(キク科)

 

カナメモチ(バラ科

 

カキノキ(カキノキ科

奈良が柿の産地なのは知っていたが山の辺の道にもたくさん栽培されていた

 

ハナイカダハナイカダ科)

 

アリドオシ(アカネ科)

 

クサノオウ(ケシ科)

 

 

メグスリノキ(ムクロジ科)

昔から煎じて目薬に用いられた

 

キバナオドリコソウ(シソ科)

地中海原産の帰化

 

オドリコソウ(シソ科)

もちろん在来のものもある

 

 

シャガ(アヤメ科)

 

 

テイカカズラキョウチクトウ科

 

セキショウ(ショウブ科)

 

 

クサイチゴ(バラ科

 

ノダフジマメ科

 

 

ここまでしっかり見てくださる方は植物の好きな方だろう

 

山の辺の道では 最近のものも含めて数多くの帰化植物に出逢う

かといって本来の在来の昔からの野の植物にもたくさん出逢う

林辺では本来の山の植物が生育しているし

何といっても全体を通して種類が多い

生物多様性・・・というが

許容力とでもいうか たいていのものは受け入れますよ・・

みたいな感じがする

 

最近の日本の自然は それをなくしてきているように思える

 

 

奈良 ② 山の辺の道 崇神天皇陵

 

新緑が鮮やかなのはその頃を狙って出かけたのだが

うれしいことにところどころに桜が咲き残っていてくれた

時期的に カスミザクラが多かったと思うが

なかには ヤマザクラもあったように思う

 

三輪神社から石上神宮まで歩いた中で

多くの優れた景観に出逢ったが

最も印象に残ったのが

崇神天皇陵の景観だった

 

 

 

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新緑と桜と堀の水面と・・・

どうぞ見てくださいと言わんばかりの景観である

 

ただこの桜は何なのかもう一つよくわからない

時期的に カスミザクラ だが色が濃すぎる

ヤマザクラ は種々の色の葉が花と同時に展開するはずで

エドヒガンザクラ は時期的に遅すぎるのと

水面に花が散り始めているが

その時期には花びらが 薄墨色 になるはずで

 

ただ一部黄緑色の葉が展開し始めているので

エドヒガンザクラ が水面の影響などで遅くに咲き出し

よく色を保っているのかもしれない

 

花を近くで見ればわかるが

古墳内に入ってゆくわけにもいかない

 

なお 風の音が入っていて聞き苦しいが

雰囲気は感じられるかもしれない

 

またこの古墳は直に見るとかなり大きい

この画像は後円部の一部を見ているだけで奥に前方部が長く伸びている

古墳というのはこんなに大きいのかと驚くほどである

もともと何らかの地形を利用したかもしれないが

堀の部分を掘って前方後円部と呼ばれる部分に積み上げていくのだろうが

人力のみでこれをするというのは驚くばかりである

 

 

以下は崇神天皇を調べていて・・

 

崇神天皇は第十代天皇で 瑞籬(みずかき)の宮(今話題の纏向遺跡のあたりだろう)に

都を移したが 疫病が蔓延し人口の半ばが失われたとある

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)への託宣

卑弥呼の墓と話題になっている箸墓古墳に葬られている巫女だろう)

あるいは崇神天皇自身の夢に 大物主神が現れ

我が子孫をして我を祭れ・・とのことで

それによって疫病が治まり これが

三輪山御神体とする大神神社の始まりである・・・とある

 

少しだが

なぜ大和の本拠地に大国主命の魂を祀る神社が存在するのか

わかったような気がする

 

それにしても 倭迹迹・・・・と呼ばれる巫女の名前は何とかならなかったものか?

 

 

奈良 ② 山の辺の道 風景

歩いているうちに気付いた

あぁ ここは昔の 私たちが子供の頃の風景だと

 

景観条例・・とかいうものがあるのだろう

また歩けばわかるが

至る所に古墳がある

 

下手に掘れない 道も付け替えられない

田も畑も昔の面影のままである

 

いつの頃だったろう

農地が効率を求めて整理され

直線的な区画ばかりになったのは

 

ここの農地は昔のまま

楕円形だったり

三日月型だったり

大きかったり 小さかったり

 

道は曲がりくねって

太かったり細かったり

上がったる下がったり

 

と言って住んでおられる人たちにとっては

不便この上なく 効率も悪いはずである

 

ただ

効率や利便性ばかりを求めて

失ってきたものも多かったのは

今のこの国の姿を見ればわかる

 

何にせよ

古墳や遺跡のせいで

あるいは古墳や遺跡のおかげで

ここは昔の面影を保っている

 

奥の山が 三輪山

右奥が 三輪山

 

三輪神社からの 山の辺の道 の始まり

 

 

 

長岳寺

 

 

お地蔵さんだった

 

奥は古墳

 

景行天皇

 

この日は黄砂がひどかった

溝端に生える

ギシギシ ヒメツルソバ ミゾソバ

遠目に見える白い花?がわからない

フジの白花だろうか?

 

右 耳成山

奥 畝傍山

 

 

シイ カシ クスノキ などの照葉樹が多い

 

モウソウチク

竹の秋

 

 

 

 

 

 

 

立派な門構えの家も多い

 

この歌は私にも読めた

 

 

 

奈良 ② 山の辺の道 神社

 

どこから歩き始めてもよいのだろうが、三輪神社(大神神社)からにした

 

神様の御魂(みたま)には 和魂(にぎみたま)と 荒魂(あらみたま) があるとされ

さらに 和魂は 幸魂(さきみたま)と 奇魂(くしみたま)の二つの働きにわかれる

出雲の大国主命の 和魂 を 大物主神 の名で三輪山に鎮めたとされ

それゆえ神社の裏にある三輪山御神体にあたる

 

要するに出雲の大国主命の魂を祀ってある

奈良は大和であり

大和朝廷の発祥、本拠地のはずである

なぜ国譲りをしたという出雲の神が大和の中央に祀ってあるのか?

 

歴史をよくご存知の方はわかっておられるのかもしれないが・・・

 

今回の奈良行きでは

出雲系の神社を巡っている

朝早く東の方から神神社へ向かうべく 桜井の街へ向かっていると

いきなり道路表記に 「出雲」 の地名が出てきたのには驚いた

 

早朝だったのでやはりすがすがしい

大鳥居

奥に見えるのが 三輪山

参道

 

拝殿

 

本殿はなく 三輪山御神体

 

三輪山登拝口 狭井神社境内にある

もちろん許可なく登れない

 

狭井神社

三輪神社のすぐ北にある

大物主神の荒魂を祀ってある


薬井戸 

万病に効くという薬水が湧き出ている

一杯は飲んだが・・・

 

檜原神社

 

石上(いそのかみ)神宮

今回の終着点の神社

 

奥に見えるのは拝殿だが ここはさらに奥に本殿があり

七支刀 と呼ばれる刀が御神体とのこと

 

この境内には闘鶏なのか鶏なのか

放し飼いにされている

 

 

ずいぶんと昔に 出雲大社(いずもおおやしろ とよむ)には行ったことがあるが

出雲にせよ 松江にせよ 東の方に見える圧倒的な山は

伯耆大山 である

大国主命 が出雲にいた頃に やはり大山は神の山だったろうと思う

のちに何らかの事情で大和に移り住んだとすれば

朝日の昇る東の山は 三輪山 だったのではないだろうか

 

よく山へ登っていた経験から

思いつきで言っているだけである

やはり 三輪山には磐座もあるらしく

何らかの魂がこもっているのだろう

 

ただ

富士山 白山 立山 などだけでなく

各地の山々は昔からそこに棲む人々に大きな影響を与えてきただろうとは思う

 

若い頃 よく山へ登っていた頃に

なぜ山へ登るのか?

とのよくある問いに

「そこの神がおわすから・・・」

と答えた人がいたが

日本人の答えの正解だろう

 

なお 山の辺の道を歩きながら

三輪山 というのは 御和山 なのではないだろうか・・・

などと考えたりしていた

三輪神社の近くに 美和 の森 というのがあって

たくさんの桜が植えられてあった

 

美和の森

耳成山が少し見える

 

 



和食とか和服とかいう

和というのはこの国を表すのだが

和というのは 出雲の国を中心とした頃の名前なのではないだろうか?

とか考えながら歩いていた

 

やまとは 大和 と表す 

なぜだろう?

 

 

奈良 ①赤目四十八滝 植物

ずいぶんと前になるかもしれないが

以前訪れた時に

シロバナのショウジョウバカマを見たのがよく印象に残っている

ということは今回よりも早い時期に

もしかすると吉野の桜と併せて訪れたのかもしれない

ただ 木々の芽吹きは今回の方が鮮やかだったと思う

 

カスミザクラ(バラ科

近づけないがカスミザクラだろう

 

タチツボスミレ(スミレ科)

 

ヤマハコベ(ナデシコ科)

 

イズセンリョウ(サクラソウ科)

照葉樹の林床でよく見かける

 

ツルカノコソウ(スイカズラ科)

 

コチャルメルソウ(ユキノシタ科)

 

オノマンネングサ(ベンケイソウ科)

 

サンショウソウ(イラクサ科)

 

ハシリドコロ(ナス科)

猛毒の植物

 

ショウジョウバカマ(メランチウム科)

シロバナショウジョウバカマかもしれない

 

ナガバノモミジイチゴバラ科

 

イワタバコ(イワタバコ科)

 

ヤマルリソウ(ムラサキ科

 

キランソウ(シソ科)

 

カテンソウ(イラクサ科)

 

カゴノキ(クスノキ科

鹿子の木 つまり バンビの意味

 

ヤマグルマ(ヤマグルマ科)

一科一属一種の古い時代の植物

 

イヌブナ(ブナ科)

 

アセビツツジ科)

 

 

 

 

奈良 ① 赤目四十八滝 滝

久々に奈良を訪れたので数回に分けてアップする

吉野の桜やその他の桜も見たいが 人の多さが大変なので

渓谷の新緑と早春の植物

山の辺の道の新緑の景観と古墳や神社の歴史散策に絞って

 

赤目四十八滝

山の辺の道

みたらい渓谷

葛城山麓の神社

 

を訪れた

 

赤目四十八滝 はずいぶんと前に訪れたことがあるが

厳密には奈良県ではない

ギリギリ三重県に入るが

一応今回は奈良の中に入れておく

 

 

 


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赤目四十八滝は今までに二度ほど来たことがあるが

赤目五瀑とされる五つの滝のうち上流にある荷担滝と琵琶滝は未だ見たことがない

今回も荷担滝の手前までしか行けなかった

ある程度の距離と 少し高度差があり

無理をして早く歩くことができない上に

花と新緑と滝と渕と

多くの障害があり なかなか進めない

 

以前 飛騨の 宇津江四十八滝に行ったことがあるが

植生はあちらの方が見応えがある

ただ 滝自体はこちらが見事なのかもしれない

先ほど言ったようにすべて見たわけではないが

 

全国多くの滝に

不動滝 権現滝 観音滝 大日滝 等

修験道や仏教の如来、菩薩、明王などの名前がついている

それだけ多くの人々が山中に分け入って

修行をしていたということだろう