この前出雲の加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡を紹介したが
加茂岩倉遺跡の資料館を訪ねた時に
学芸員の方だろう
あぁ、滋賀県から来られたのですか
大岩山の銅鐸ですね
と言われた
今でこそ加茂岩倉遺跡が銅鐸においては
全国一の出土数だが
それまではその大岩山と呼ばれる
三上山の麓からの出土が最多だった
かつ日本最大の銅鐸が出土している
恥ずかしいことながら
何十回と前を通りながら
その銅鐸が出土したとされる
銅鐸博物館を訪れたことがなかったので
近くまで行く機会があったので尋ねてみた
日本最大の銅鐸
高さ135cm 重さ45kgほどある
ただしこれは複製品で本物は東京の国立博物館にあり
重要文化財とある
出雲から出土した銅鐸、銅剣、銅矛は全て国宝だと思う
島国根性で言うわけではないが
なぜ日本でもっとも大きいこの銅鐸が重要文化財なのだろう

製作時を復元したもの


明治14年に14個 昭和37年に10個 計24個が出土している
ただ明治のものは海外に逸出したり、個人蔵となっていたり、行方不明のままのものもある

銅鐸出土地の碑
実際の場所はこのすぐ近くで 削り取られて現在工場となっている

明治14年に集落のはずれで遊んでいた少年二人が発見し
近隣の住民が集まって大きな騒ぎになったという
小野田 金太郎 、 森 岩松 というのがその少年の名だろう
唐金古器物 というのが銅鐸のことを指す

右の色濃く目立つ山が三上山(近江富士)
山の名は三上山(みかみやま) 麓の神社は御上神社だが
本来は 御神山 だろう
銅鐸の出土場所は三上山から連なるもっとも左の山の端あたりになる

銅鼓
中国南部やベトナムでは今でも稲の収穫の祭りに
この銅鼓を用いるという
面白いのは 祭りの後 銅の太鼓は土の中に埋め隠してあるといい
銅鐸が丁寧に入れ子状に並べて埋めてあることと共通している

中国では 殷 周 の時代から青銅器を鋳造して
鐘(しょう) 打ち鳴らすもの
鐸(たく) 振り鳴らすもの
鈴(れい) 揺れ鳴るもの
などのカネをつくったという
確かにお寺の梵鐘や半鐘
あるいは鈴などは今でも受け継がれている
銅鐸を祭事礼拝に用いたというのは的を得ているように思える
加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡の銅鐸や
銅剣 銅矛 も祭事礼拝に用いたと考えれば納得もできるし
またいずれも集落や古墳などから出土せず
集落のはずれの山の斜面から出てくることも
そこが祭礼の場所だったと考えれば納得できる
大岩山は削られて昔の地形はわからないが
加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡は谷の奥まった
ちょうどすり鉢のような形の地形の斜面に丁寧に並べて埋められてあった
そこが祭礼の場所だったと思えないこともない
加茂岩倉遺跡出土場所
右奥の細い谷筋から入ってくるとひらけたすり鉢状の地形になっている
言ってみれば野外コンサートホールのようなところ

荒神谷遺跡出土場所
やはり谷筋のもっとも奥まったすり鉢状の斜面

自分は理系の人間なのだが
古代史 考古学などというものも
面白いものだと思う
昔の人々の姿を想像できる
年齢を経たということかもしれないが・・・