奥琵琶湖
琵琶湖の最北部周辺を奥琵琶湖と呼んでいるが、最北は塩津湾である。桜で有名な海津大崎や、葛籠尾崎(つづらおざき)、あるいはこの前紹介した尾上の湖岸など景観の優れているところが多い。
琵琶湖周辺には大津を始めとして、草津、塩津、海津、黒津、稲津など『 津 』のつく地名が多いが『 津 』は港である。今津の近くに木津というところがあるが古津である。つまり以前はそこが港であったが、後に今津(New Port)に移ったということ。今でこそ、貨物やトラックやでの物流は盛んだが、江戸時代までは、考えてみれば日本海を北前船で運搬し、敦賀から海津もしくは塩津、大津から京都へさえ運搬すれば大量の物流移動が可能であった。平清盛が塩津から敦賀へ運河を作ろうとしたほどである(途中で諦めたがちゃんと跡が残っている)。海運というのは陸運に対して桁違いの量だったのだろう。
地図の最北部赤い丸印が塩津湾
左下の安曇川河口部の赤い丸印が琵琶湖最深部104mである
下の地図の赤い丸印が琵琶湖大橋で最も幅が狭くなる部分である
それより北を北湖、南を南湖と呼び、北湖は面積で南湖のほぼ10倍、体積(貯水量)でほぼ100倍ある
なお、琵琶湖は世界でも最も古い湖の一つで500万年ほどの歴史がある
左奥に塩津湾と飯の浦湾がある
左手前の方向が最北部塩津湾
手前の入り江を月出のワンドという
左奥が塩津湾
奥に金糞岳
琵琶湖岸で岩場が続くのは知る限りではここと近江八幡の伊崎不動かと思う
葛籠尾崎と竹生島
左奥に菅浦という集落がある
賤ヶ岳より飯の浦湾
正面が葛籠尾崎で左に竹生島
奥に比良山地
濃霧の竹生島
湖岸から近く見えるが実際は岸からかなり離れている
対岸のマキノより竹生島
以前岐阜の岩村城跡に行った時、平坦な二の丸跡の内側に堀が囲ってあった
なぜここに堀があるのかわからぬまま後で古地図を見ると弁天池とあった
弁天というのは周りを水に囲まれた島のような所に祀ってある
上野の不忍池もそうである
湘南の江ノ島もそうである